小説でわかる、本を紙で読むことの面白さ

本は基本的に紙媒体で読む派です。

ジャンル問わず図書館で借りては読んで、また返却するという繰り返し。

紙の本で読みたい理由は色々あって、ひとつは子どもの前でスマホよりも本を開いている姿を見せたいということ。そして図書館というありがたい存在を利用させてもらうならば、自然と紙の本になるということもあります。

だから、「紙の方が本の内容がより伝わってくる!」とか、「紙で読んでこそ本物の読書だ!」なんて言う気はまったくありません。

たまたま、今の生活スタイルに合っているから、という程度で。

でも、最近面白い小説に立て続けに出会ったことで、やっぱり小説だけは紙で読むからこそ味わえる面白さがあるのではないかと感じました。

わたしは読書を中断して栞をはさむとき、無意識的に読んだページと未読ページの紙の厚さを確認しているようです。

「まだまだ1/5ぐらいしか読んでないのに、もうここまで話が展開してしまっている。ということは、まだまだ何か起こるのか!?」と未読ページの分厚さを見ながら考えたり、「もうかなり終盤まで読み進めてあと少ししか残ってないのに、話がどんどん広がってて最後どう終わるのか?」とか、自分が今どの段階まで本を読み進めているのかを物質的に目視できるのです。

小説の内容にどっぷり浸かっていく面白さと、本を閉じた時のページ数をざっくり比較して、俯瞰的に物語の途中経過を捉えられる面白さ。

これは紙の本ならなのでは。

あともうひとつは、漢字か平仮名かカタカナ表記かが、小説においては特に重要だということ。

同じ言葉でも、表記の仕方次第で、登場人物の心情が異なって伝わります。

例えば、カタカナ表記で「ショウセツ?」と書くと、「小説」という言葉がまだ頭の中で意味として伝わっていない、みたいな。

今読んでいるのはミステリー小説なのですが、電話で刑事と刑事が被害者の氏名をやりとりする際、初めはカタカナ表記で出てきます。それは、まだ伝えられる側の刑事が頭の中で漢字変換できておらず、「とりあえず聞いた」という段階であることが読者にも伝わってきます。

ひらがな表記だと、子どもに話しかけているような優しい雰囲気にもなる。

そんな些細な、言語化されない部分からも、小説で描かれる人間性や人間関係の機微が伝わってくる。

もしこれから、新書や教養本といった類はデジタル媒体で読むことになったとしても、小説はなるべく紙の本で読みたいなぁと、改めて感じました。

(立て続けに面白かった小説に出会えたと冒頭でお話したのは、写真にある「ゴールデンスランバー」と「氷点」です。おすすめ!)