「内省」とは何か。改めて意味を調べてみました。
内省とは、自分の内面の感情や思考、行動を振り返り、その意味や学びを言葉にして、次の行動に活かす心の働きのこと。

この定義を見ていると、内省には「インプット」と「アウトプット」の両方が必要なんじゃないか、と感じます。
自分のことを振り返るためには、そもそも振り返る材料が必要です。
本を読んだり、人と話したり、何かを経験したり。そうしたインプットがあるから、「自分はどう思うんだろう」と考えられる。
そして、その考えを言葉にする。ノートに書いたり、誰かに話したり、発信したりするアウトプットがあるから、自分の考えが整理され、次の行動につながっていきます。
以前いただいたご質問で、「インプットとアウトプットのバランスをどうとられていますか?」という内容がありました。
たしかにインプットが多すぎると頭の中がこんがらがったり、逆にアウトプット過多になると、自分の中がスカスカで枯渇しているように感じたりするかもしれません。
わたしの今の状態としては、インプットとアウトプットのバランスを取ろうとしていない。というよりも、今やっていることがインプットなのかアウトプットなのかを意識していない、という回答になるかなぁと思っています。
たとえば、一般的にはインプットに分類される読書をしている最中も、自分の過去や今に重ね合わせて考えているので、すでに内省が始まっています。
「これは今の自分にも当てはまるな」「数年前なら理解できなかったかも」「子育てに置き換えたらどうだろう」

そんなふうに、本の内容を過去や現在の自分に重ね合わせながら読んでいます。
だから読書は、知識を受け取るインプットの時間でもあり、自分を見つめ直すアウトプットの時間でもあります。

逆に、アウトプットにあたるVoicyやブログでの発信も、いただいたコメントや反応から「そんな見方もあるんだ」と新たな視点をいただくことで自分の考えが更新されるという、ありがたいインプットの場にもなっているのです。
ドラマを観ながら「このことをブログで書きたい」と、iPhoneのメモ帳を開いてメモするときもインプットとアウトプットが同時並行で行われているわけで。
つまり、わたしの中ではインプットとアウトプットの境界はとても曖昧で、その行き来こそが内省なのだと思っています。
インプットとアウトプットを無理に切り分けない。インプットが最近多すぎるからアウトプットしようとか、アウトプットしてばかりだからインプットしないととか、そこばかり意識していると、好きな時に好きな本を読んだらドラマを観たり、あるいは発信したい!と思った時に行動できなかったりする。
衝動のままに動きたいわたしとしては、そこのバランスは考えない方が良いのかもしれません。
内省はインプットかアウトプットかという二項対立ではなく、境界が曖昧だからこそ深まるようにも感じています。