『しあわせは食べて寝て待て』の司と『Tシャツが乾くまで』の充、ふたりの共通点

最近ハマっているドラマ2つについて、見ていて気になったこと、そこから考えてみたことを書いてみようと思います。

現在放送中の金曜ドラマ『Tシャツが乾くまで』と、昨年NHKで放送されて現在はアマプラなどの配信サービスで観ることのできる『しあわせは食べて寝て待て』。

どちらのドラマにも、ふらっといなくなってしまう人物が登場します。

『Tシャツ〜』は充(みつる)、『しあわせは〜』は司(つかさ)という、たまたまふたりとも男性のキャラクター。

事情や細かい設定は違えど、ふらりとどこかへ行ってしまう危うさを持っている設定です。

実際に充は自分のことを失踪癖があると認めているし、司も「いついなくなるかわかりませんよ」「漂流している」みたいなセリフを言っています。

最初は、今でいう「リセット症候群」に近いのかなと思いました。

人間関係を全部リセットしたい。

今いる場所から逃げたい。

知らない場所で、もう一度人生を始めたい。

そういう感覚。

SNSアカウントを全部削除することでリセットを図るなんて話も耳にすることがあります。

でも充と司を見ていると、少し違うような気がしてきました。

人から離れたいというより、人の中にいる今の自分から離れたいのではないか。

そんなふうに見えてきます。

人との関係の中には、「自分の役割」があって、自分はいつも誰かとの関係の中で生活している。

わたしの場合は、妻だったり、母だったり、娘だったり、友人だったり。

それぞれの関係の中で、「こう振る舞う自分」またいなのがあります。

それが嫌なわけではないし、むしろ大切な関係だからこそ、その役割を引き受けている部分もある。

でもずっとその中にいると、たまにそこから抜け出したいという気持ちになることもある。

誰かから逃げたいのではなく、「誰かにとっての自分」からちょっと離れたい、みたいな。

先に書いた、人から離れたいというより、人の中にいる今の自分から離れたいという感覚です。

だから、「一人になりたい」という気持ちも、人が嫌いだから生まれるものばかりではないのかもしれない。(そういうケースも多々あると思いますが)

人の中にいる自分から離れたいと思った時、できる対策としては(実際に失踪するわけにはいかないので)、物理的にひとり時間をつくることだと思っていました。

でも、最近はこれもまた状況が変わってきたなと個人的に感じています。

物理的にはひとりでも、人との関係の中にいる自分は完全には一人ではない状況が意外とあります。

例えば、平日子どもたちが学校に行っている時間は、物理的にはひとり。なのに、そこまで「ひとりになった」と感じない。それはなぜか。

頭の片隅には「親」としての役割があって、少なからず子どもに意識が向いているのです。

夫は会社に行っているので、何かあったらわたしが対応しなければいけない。学校から連絡が来るかもしれない。

家に帰ってきたら今日は先にごはんにしようとか、流れを自然に考えていたりもします。

そうすると、身体的にはひとりでも、意識のどこかは家族につながっているわけです。

先日読んだ小説「春の星を一緒に」の中で、シングルマザーの母親が自転車通学を始めた息子を案じる気持ちを「自分の一部を持っていかれているような感じ」と表現されている場面がありました。

まさにこの感覚で、意識が持っていかれている。役割から完全に離れてひとりにはなれていない。

逆に、家族全員が家にいる休日のほうが気が休まっているときもあります。

普通なら、「一人の時間がない」と感じそうなのに、そんな日ほど落ち着いて本を読めたりすることがあります。

家族はみんな家にいるから、何か連絡が来ることもない。

誰かが何かをしている気配があるけれど、でも、わたしがずっと対応しなければいけないわけではない。

だから、自分のことに集中できる。

まぁこれは子どもが小学生になったからで、未就学児の頃はとにかく平日の方がひとり感は味わえていました。そういう意味では、物理的なひとり状態から精神的なひとり状態を求められる段階になったのかもしれません。

つまり、今のわたしが「ひとりになりたい」と思った時に必要なのは「家族がいない状態」ではないようなのです。

ひとりで外出している時も、結局学校や夫から連絡が入ってないからを頻繁に気にしてしまっているのも同じ現象かもしれません。

家族がいるかどうかより、自分の意識がどれだけ自分のものになっているか。人との関係や役割である自分からいかに離れられているか。

それが「ひとりになれた」という感覚をつくっているのだと思います。

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ドラマの話に戻しまして…

この「ひとりになりたい、関係を離れたい」という感覚は、家族を大切にすることとも矛盾しないのだと思っています。

『Tシャツが乾くまで』の充も、『しあわせは食べて寝て待て』の司も、ただ人から逃げている人として見るより、「人の中にいる自分から、一度離れたい人」として見ると、少し違った人物に見えてくる。

人が嫌いだから、一人になりたい。

そうとは限らない。

大切な人がいるからこそ、その関係の中にいる自分を、たまにはそこから解放したくなる。最初は、このふらっといなくなるなんてあり得へん〜と思いながら観ていたけれど、少しはその気持ちがわからんでもないような。(充の場合は周りに多大な誤解や迷惑を与えてしまっていますが、、、)

一人になりたいのは、人から離れたいからではなく、自分に戻りたいからなのかもしれないなと、ふたつのドラマから感じました。