『じゃなくて』をやめて、『だけでは不足』と考える

   「じゃなくて」ではなく「だけでは不足」という考え方を、子育てや日常のコミュニケーションに活かしていきたいと思った話。

最近、Podcastのとある対談番組を聴いていて印象に残った言葉がありました。

それは、「人の心の奥まで届くものづくりとは」というテーマで話されている中で、承認欲求について触れられていた文脈。

「今流行っているからとか、人気だからとか、そういった承認欲求だけでは不足している」ということをお話しされていました。

ここが印象に残った理由は、「承認欲求で動くのはダメ」という言い方ではなく「承認欲求だけでは不足している」という言い回しをされていたから。

この言い換え、表現がすごくいいなと思いました。

わたしはつい、「〇〇じゃなくて、△△が大事」という言い方をしてしまうことがあります。

もちろん本当に否定すべきことは否定すべきだし、発信の都合上、伝わりやすさを優先してこんのような言い回しをすることもあるのですが。

でも、特に否定すべきことではないし、他人は他人の考え方あってよい場面で、不必要に否定してしまう場面もあるように感じています。

例えば、「人から褒められるために頑張るんじゃなくて、自分のために頑張る」とか、「外食に頼るんじゃなくて、自炊することが大事」とか。

このように「じゃなくて」という言葉を使うと、前にあるものを否定して、後で述べるものを選ぶような印象になります。

自分にとって大切にしたいことや優先順位がはっきり見えてくるのは良いことなのですが、知らず知らずのうちに、その対極にあることを否定するような姿勢をとっていることもあるのです。否定する必要はまったくないのに。

先の話にもあった承認欲求だって、人から認められたいと思う気持ちは、人間として自然なもの。

だから、承認欲求が悪いわけではない。

ただ、承認されることだけを目標にすると、苦しくなることがある。

褒められなかった時に「こんなに頑張ったのに」と苦しくなったり、相手の反応によって自分の価値を決めてしまったりする。

だから、「承認欲求じゃなくて自分軸」ではなく、「承認欲求だけでは不足だから、自分の納得感も大切にする」という考え方を持てたら自分にも他人にも寛容になれるのかも。

この考え方は、子育てでも大切だなと思いました。

例えば、子どもが「ゲームをもっとしたい」と言った時。

「ゲームはばっかりしてたらダメ」と言ってしまうことがあります。

でも、ゲームが悪いわけではありません。

楽しい時間だったり、夫や姉妹間のコミュニケーションだったり、子どもにとって大事なものでもあります。

ただ、ゲームだけでは不足している、ということ。

体を動かすことや、睡眠、勉強、五感を使う遊び。そういうものも必要だから、時間を決めよう。

そう考えると、「ゲームを否定する親」と「ゲームをしたい子ども」という対立ではなくなる気がします。

他にも、「お菓子をもっと食べたい」と言われたとき。

「ダメ、お菓子ばっかり食べないの」ではなく、

「お菓子を食べたい気持ちは分かる。でも、お菓子だけでは体に必要なものが足りないから、ごはんも食べよう」

子どもの気持ちと、親が持っている経験や視点。

どちらか一方ではなく、両方を合わせて考える。

これは親子だけではなく、夫婦や人間関係でも同じだと思います。

例えば、家事。「効率化すればいい」でもなく、「昔ながらの丁寧な暮らしが大事」でもない。

効率化だけでは不足している部分もあるし、丁寧さだけでは続かないこともあります。

わたしは以前から、何かを改善しようとするときに、「今までの自分のやり方は間違っていた」と思ってしまうことがありました。

でも、「だけでは不足」という考え方をすると、過去の自分を否定しなくていい。そして他人も否定しなくていい。

その時はその時で必要だった。でも、今の自分にはもう少し足りないものがある。

だから新しいものを足していく。

そう考えられるとラクなのかも。

「〇〇じゃなくて△△」という考え方は、答えを一つに決める考え方。

でも、「〇〇だけでは不足だから△△も必要」という考え方は、今あるものに何かを足していく考え方。

どちらかを選ぶのではなく、両方を持つ。

子どもとの関わりでも、自分自身との向き合い方でも、この「だけでは不足」という視点を持っていたいなと思いました。