現在放送中のドラマ「VIVANT」第二シーズン、毎週楽しく観ています。
堺雅人さん主演ドラマである「半沢直樹」や「リーガル・ハイ」も好き。どれも当たり役というか、この人にしか演じられないだろうな〜と思わされる圧倒的存在感…!
他にも堺さんが出ているドラマを探していたところ、アマプラで2016年の大河ドラマ「真田丸」を視聴できることを知りました。
大河ドラマは久しく観ていなかったのですが、見始めたらめっちゃ面白い!
わたしが観ていたら、姉妹もおやつを食べながら興味津々で視聴。

脚本は三谷幸喜さん。戦国時代を生きる人々の心情が時に切なく、時に面白く描かれています。

たまたま同じ時期に「VIVANT」と「真田丸」を観ている中で感じたこと。
それは、「情報が増えれば、人を信用できるようになるわけではない」ということです。
このふたつのドラマ、放送時期以前に描かれている時代設定が大きく異なります。令和と戦国時代という別世界。
「真田丸」の時代、人と人とのやりとりは主に対面か文を交わすかのどちらか。
乱世ゆえに手紙も無事に届くかどうか、その手紙が途中ですり替えられていないか…という時代。
今のように写真やSNSもないので、相手の顔がわからない中でのやり取り。(実際に堺雅人演じる信繁がおじの息子と偽って上杉氏を欺くシーンもありました)
信繁の父は策士でもあり、相手を裏切ったり裏切られたり、裏切ったと見せかけて実は策略だったひ。息子である信繁さえ疑心暗鬼になるほど。
そんな中で何を信じるのか。誰が何を言ったか、どこまでが本当なのか。今でいう「エビデンス」となるものがない時代に、印象的な場面がありました。
一度は裏切った上杉氏の元に、信繁が真田と再度手を組んでほしいと、丸腰で乗り込む場面があります。
上杉の家臣に無数の刃を向けられながらも真剣に訴える信繁の顔を見て、上杉氏は信頼して要望を承諾します。
信頼した理由として、「あの面構えは誠のものじゃ」というようなセリフを話していました。
そのあと、また信繁に会いたいと思わせることになるのです。

一方で現代を描いた「VIVANT」は、スマホ、監視カメラ、位置情報、データ、SNSなど、エビデンスになりそうなものが数多く出てきます。
日本のみならず海外のサーバーもハックして居場所を掴んだり。データのやり取り、口座の取引状況まで調べたりも可能。
ただ、「VIVANT」を観ていると、そのエビデンス自体が加工されたり、意図的に見せられたり、別の意味を持たされたりしているのです。
監視カメラやスマホに細工がされていて、このドラマの世界観もまた、全体的に疑心暗鬼になりかねない。
誰が味方で誰が敵なのか。どこまでが作戦でどこからが偶然なのか。
嘘をつけばわかるような心拍数を測る装置なども登場しているので、もちろん現代の方が革新的ではありますが。簡単に誰を信用していいのかわからないという状況は、まるで戦国の世。
つまり、情報が少ない時代も人は騙される(戦国時)し、情報が溢れている時代も人は騙される(現代)というわけです。
結局、「何を信じるか」という問題は、技術の問題だけではなくて、人間そのものの問題なのかもしれません。
「その人の表情とか顔つき」が、不明確ではあれど結局のところ一番信頼に値するものなのか?と感じました。
もちろん顔つきだけで人を判断できるわけではないけれど、その人と実際に対峙したときに感じるもの。
「この人は何か隠している気がする」「この人の言葉なら信じられる気がする」みたいな、データには置き換えにくい感覚。
むしろ現代は情報が多すぎるからこそ、最後に残るのがそういう人間の身体感覚や直感なのかもしれません。

そう考えると、今期放送されている他のドラマにも同じことが言えるような気がしてきました。
小説が原作の「一次元の挿し木」では、DNA鑑定やクローンなどといった最新技術が登場します。でも、詰まるところは誰を信用できるかできないかに帰結する物語なのではないでしょうか。(この人味方やと思ってたのに敵やった!と思ったら、やっぱり味方やったー!みたいに、一視聴者として楽しんでいます)
金曜日の「Tシャツが乾くまで」も、夫婦や親子関係においてはどんな技術をもってしても踏み込めない領域がある。人の深層心理はわからない。ということが如実に描かれているように感じられます。
人を信頼する要素として何かエビデンスがあればいいわけでもないなと、たまたま今見ているドラマから感じました。