最近読んだ2冊の本のタイトル。
「生きのびるための事務」(2024年出版)
「生き延びるための会話」(2026年出版)
どちらにも「生き延びる」という言葉が入っているところに引っ掛かりを感じて借りた本です。
「生き延びる」という言葉って、わたしの中では戦争中に使うイメージが強くありました。
戦争や災害、飢餓のような、生命そのものが脅かされる状況で出てくる言葉のような。
だから2冊のタイトルを見たとき、最初に少し違和感を覚えたのかもしれません。

今現在、わたしやわたしの家族の生命が脅かされるようはことは起こっていません。
でも、もはや今の社会で「普通に暮らし続ける」ということが、以前より難しくなっているんじゃないかとも思います。
仕事、家事、子育て、お金、人間関係、情報。
やることは増えているのに、誰かに相談したり、助けてもらったりする余白は減っている。
「幸せになるために頑張る」という以前に、まず今の生活を破綻させずに続けることでいっぱいいっぱい。
それを考えたとき、「生きる」という言葉よりも「生き延びる」という言葉がしっくりくる。だから本のタイトルに現れてきているのかも?と感じました。
『生きのびるための事務』

この本で特に印象に残ったのが、才能と評価は別物だということ。
好きなことを続けられることは才能だけれど、それが売れるかどうかは評価の問題。
ここを混同すると、他人からの評価によって、自分が続けるべきかどうかまで揺らいでしまう。
だからこそ「事務」が必要になる。
早起きする、習慣にする、仕事の時間やお金を確保する。
それは評価されるためではなく、評価がわからない状態でも仕事を続けるための仕組み、とのこと。
『生き延びるための会話』

こちらで印象的だったのは、育児などでエビデンスが求められる背景を、単なる「情報社会」や「コスパ・タイパ志向」だけでは捉えないところ。
そこには「孤立」も要因としてあって、昔なら親戚や近所の人と「これどうしたらいいんだろう」と話す中で、必ずしも正解は得られなくても一人ではなくなった。
今は相談する相手がいないから、代わりに「正しい答え」を探す。
だから大切なのは、育児の正解を知ることより、「これでいいのかな」と一緒に考えてくれる人がいることなのかもしれないと書かれていました。つまりは日常会話こそ重要であるということ。

この2冊を読んで、「生き延びる」という言葉が、以前よりずっと広い意味を持つようになりました。
命の危機にさらされている中で生命を守るための「生き延びる」ほど鬼気迫るものではなくとも、現代人は本のタイトルになるぐらいに普通に暮らし続けることそのものが難しく、生きづらさを感じている人が多いことが伝わってきます。
そんな閉塞感をなんとか打開するための方策として、「事務」と「会話」を挙げて述べられているのがこの2冊。
「事務」が必要なのは、今やっていることの評価がわからないままでも淡々と続けるため。
「会話」が必要なのは、わからないことを一人で抱え込まないため。
一日一日をどう乗り越え、生きながらえていくか。毎日を生き生きと生きるというニュアンスより、もっと切実なニュアンスが「生き延びる」に込められているように感じました。