先日、川上未映子さんの「夏物語」という小説を読みました。

内容としては、子どもを持つか持たないかという生命の意味、人間の繋がりあたりが大きなテーマなのですが、タイトルにもあるように、ほぼすべての場面が夏の初め〜夏の終わり。
夏に関する描写がふんだんに詰め込まれた作品でした。
それも、「夏の爽やかな青空!」とか「瑞々しい木々」みたいな爽やかっぽいのとは少し違う、どちらかというとネガティブな表現が多い印象。
汗でTシャツがベッタリ背中に貼り付いていたり、蝉の声がうるさいぐらいに聞こえたり、どこか不快感を伴ったような文章が記憶に残っています。
それはもちろん物語の内容だったり主人公の状況(わりとシリアスなテーマ)が影響していることもありますが、わたしはこの不快感こそが記憶を立体的にしている場面もあるなぁと自分の記憶を辿ってみました。

個人的には、夏の思い出って他の季節よりもくっきりと覚えていることが多いです。
汗をかきながら毎日通ったラジオ体操
汗でベタベタしながら昼寝した畳の感覚
蚊にさされてかゆい腕をかきながらパジャマでした花火
暑くて眠れない時にうちわでパタパタあおいでくれた祖母

季節は正反対の冬、特に雪が降るような真冬の記憶も割と残りやすいような。
手荒れがひどいときに夫が買ってきてくれたハンドクリーム
寒い風呂上がりに一目散につけたストーブのにおい
空気が乾燥して肌がパリパリなると同じぐらいパリパリに仕上がる干し野菜の感触
雪の日にスニーカーで外に出てジワジワ靴の中に水が浸透してくる感覚

どれも少しの不快感を伴った記憶。
もしかすると、「楽しかった」「おいしかった」という感情だけより、「暑かった」「寒かった」「汗をかいた」という身体感覚が加わることで、記憶が立体的になるのかもしれません。
思い出すと、出来事だけじゃなく、その場の空気まで蘇るような。
もちろん生活の中から不快なことはなくしたいし、そのための工夫も考えます。
でも、完全に不快を除去しなくても良いのではないか、というのが「夏物語」という小説を読んだ感想です。(テーマとは大きく逸れていますが)
「快適だった日々」より、「ちょっと不快だった日々」のほうが身体に残っていて、平面的な記憶が立体的となる。そんなことをふと感じました。