《読書記録》読んだ安心した本

読んだのは『それでも息子を日本の小学校に通わせたい』という本です。

イギリス、日本、アメリカなど、さまざまな国で教育を受けてきた著者が、日本の公立小学校の価値について書いた本なんですが、読んでいてすごく安心できる部分が多くありました。

普段わたしの目に入る本やネット情報って、「日本は遅れている」「海外ではこうしている」「欧米ではもっと進んでいる」という話がとても多い気がします。教育分野に限らず。

もちろん学ぶべきことはたくさんあると思うし、知識として知っておくことは大切です。

でも、世界の中で遅れているという情報ばかり見ていると、日本の教育の良さまで見えなくなってしまう気がしていました。

実際、わが家の姉妹は公立小学校に現在通っているわけで、あまりに否定されすぎると悲しくなるというか。

でも『それでも息子を日本の小学校に通わせたい』という本は、そういう見方をしていません。

もちろん全肯定しているわけではなく、こういうところはまだ足りないという視点も踏まえつつ。

日本の公立小学校には、掃除当番があったり、給食当番があったり、上級生と下級生が関わったり、勉強以外にもたくさんの学びがある。

これは世界で見てもまれな教育システムとのこと。

それを「海外と比べてどうか」ではなく、「そこにどんな価値があるのか」という視点。

わたし自身が小中高と公立出身であることも相まって、否定的な情報でないものに触れることができたという意味で安心できた一冊でした。

ここでもう一冊思い出したのが、以前読んだ『日本辺境論』です。

この本の中で内田樹さんは、日本人は「他国との比較でしか自国を語れない傾向がある」と書いています。

つまり、世界のどこかに正解があって、そこにどれだけ近づいているかで自分たちを評価してしまう。

海外より進んでいるか。遅れているか。その距離ばかり気にしてしまう。

「ここではないどこか、外部のどこかに、世界の中心たる「絶対的価値体」がある。それにどうすれば近づけるか、どうすれば遠のくのか、専らその距離の意識に基づいて思考と行動が決定されている。そのような人間ののとを私は本書ではこれ以後「辺境人」と呼ぼうと思います。」

読んでいて思ったのは、日本は世界標準になろうとしていないというより、自分たちの価値を世界標準として語るのがあまり得意ではないのかもしれない、ということ。世界標準に追いつけ追い越せはできるけど、この日本のスタイルこそが標準だ!と堂々と言えない、まさに辺境人。

でも実際には、教育の話に戻すと、日本の学校制度や給食、地域とのつながりなど、海外から評価されているものもたくさんあります。

子育てをしていると、海外ではこうらしい、最新の教育ではこうらしい、という情報がたくさん入ってきます。

でも大事なのは、世界のどこかの正解や標準、基準とされているものに近づくことではなくて、目の前の子どもに何が育っているかを見ることなんじゃないかなと思いました。

国についても同じで、「世界と比べて日本は何点ですか?」ではなく、「日本にはどんな価値がありますか?」という問いのほうが、良いところを見つけられるのかも?

そんなことを、この二冊を読んで考えました。