好きなモノに囲まれるより大切なこと

おはようございます。

少し前からYouTubeでfutabaさんの捨て活vlogを観ています。

わたしも少し前にかなりの捨て活をしたのですが、そのひとつのきっかけにfutabaさんのvlogがありました。

印象的だった言葉がふたつ。

ひとつは、「思い出と未練は別」という言葉。

そしてもうひとつが、

「好きなものに囲まれるより、100%この家で活かせていることがわたしにとっての快適」

という言葉でした。

それだ〜!と声に出るほど納得。

好きなモノでも、何の役割もなく置かれているだけでは「最近使ってないなぁ」と見るたびに、心の隅に埃が溜まっていくような。

もちろんそれが目で見るだけで癒されたり観賞用であれば良いのですが、何か用途を決めて購入したのに、自分の生活に合わず放置してしまっているときの後ろめたさや罪悪感は、気付かないうちにモヤモヤを溜めていくような気がします。

かなり前のブログで、「好きなモノより納得したモノ」という内容を書いたことがありますが、そのこととも近い考え方。

例えば、「好き」という感覚だけで選んだモノは、特に小さなこどもと生活する中では十分に活かしきれないことがありますが、「納得」して選んだモノは、こどものことも折り合いをつけたうえで、好きとまではいかなくても納得はするレベルで選んでいる。

その方が、「活かしきれていない」というもどかしさは払拭されて、結果、心地良さに繋がっている気がします。

好きだけれど活用しきれていないモノ、心のモヤモヤを溜める原因になっているモノ。

まだまだありそうなので、引き続き持ち物のパトロールを続けようと思います。

今日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。