スマホ・依存・習慣について考える

最近読んだ3冊の本。

どれも関連しているなぁと思いながらメモを取っていたので、記録に残しておきます。

1冊目はこちら。

どちらかというと悪い習慣を断ち切るというより、いかにして良い習慣を身につけるかが主題。

色々な実験結果を用いた論理的な話がとても興味深く面白かったです。

脳が「この行動は報酬が得られるので記憶しておく」となると、意識せずとも身体が動くようになる。毎朝歯磨きを無意識でしているような感覚で。

完全に習慣化できている状態とは、大脳反射ではなく脊髄反射のようなイメージなのかなと、昔学んだ理科の勉強を思い出しました。

そしてわたしの朝の早起き習慣は、ひとりでゆっくり家事を進められるという報酬ゆえに成り立っていること。

少し前にブログで「合理性を見出すことができれば習慣化できる」と書いたことがありますが、朝イチにほとんどの家事を終わらせて1日を合理的に回すということが、何よりの報酬になっているようです。

2冊目はこちら。

以下はメモした内容です。 

・スマホは道具である一方で、スマホには私たちのほうを道具のように動かすという一面もある。

・問題はスマホ自体にあるのではない。それとの付き合い方だ。

・スマホ断ちとは、立ち止まって考える時間をつくること。

・スマホを手に取ると、嬉しいメッセージや面白いニュースという報酬が得られる。でもその報酬はいつ得られるかわからないスロットマシーンのよう。

ここで1冊目の本と結びついたのが、報酬が得られると習慣化しやすいという点。

1冊目では好意的に、でも2冊目のスマホ依存に関しては好ましくない報酬と習慣の関係になっているところが、わたしはとても興味深く感じました。

朝家事習慣とスマホ依存は同じメカニズムだったのか…。

3冊目はこちら。

一番心に残ったのは、「SNSのアルゴリズムに左右されている限り、大きな失敗はない代わりに新しい世界に飛び込むこともない」ということ。

スマホで何かを検索すると、どのSNSでもそれ関連の広告や投稿が出てきます。

それによって省エネ的に自分の好みに合ったモノや人との出会いに繋がります。

AIがそうやって提示してくれる中から選んでいる限りは、大きな失敗はありません。

でも、いつまで経ってもその中をぐるぐるループしているだけ。自分の人生を大きく変えるような新しい出会いはない。

つまりコンフォートゾーンから抜け出せる可能性は極めて低い。

自分や家族の状況によっては、今はコンフォートゾーンにいるべきだという時もあると思います。

でも、何かを変えたいと感じたら、アルゴリズムに頼らないモノや人との出会い方をするべきなのかも。

先日、町内の小学生PTAの会合がありました。春からの役割決めをするためなのですが、同じく新一年生になる子どもたちのお母さん方と初対面。

正直に言うと、見た目で判断してはいけないと思いつつも「少し苦手かも…」と感じてしまったり。

でも、この本を思い出すと、これこそがアルゴリズムに頼らない新しい人との出会い方であり、何か自分も変わるチャンスかもしれないと思えました。

そもそもこの3冊を読んだ理由は、スマホ時間を減らしたい、デジタルデトックスをしてみたいという興味からでした。

でも、わたしの場合、結局具体的なハウツーよりも

・スマホに道具として扱われていないか

・SNSアルゴリズムの中では何も現状は変わらない

この二つが一番心に響いた言葉でした。

さらに、別の本に書いてあった一文、

「スマホを充電するよりも、自分を充電する」

という言葉も、今のわたしにはスッと入ってきました。

スマホを充電している間は、しばらくスマホから離れることになりますよね。それと同時に自分にも充電コードをピピっと差すイメージで、スマホを触らないデジタルデトックスタイムを過ごせたらなぁと思っています。