写真や文章を残す意味

おはようございます。

先日、北欧暮らしの道具店さんのアプリで様々な方のエッセイを読んでいてメモした言葉。

「文章を書くことは、自分の心や記憶の一部を結晶化することなのだと思う」「光を当てれば必ず反射して、輝きを返してくれる」

なるほど〜、と思いました。このエッセイを書かれたのは著名な文筆家の方なので、まさに文章を記すことが仕事。趣味でこのブログを書いているわたしとは全然世界が違いますが、まさにこの「結晶化」したくて続けているのかもしれないと思いました。

写真は本当にそのときの一瞬、光の当たり方とかこどもの動きとか、色々な要素が組み合わさったその瞬間を残しておくことができます。文章も、そのときの気持ちをそのまま言葉にしたもの。このブログも、そのときの思いを書いているので、後から読み返して修正したりはしていません。情報の上書き修正などは必要ですが、気持ちの面の話は、例え意味不明な脈絡になっていたとしてもそれがそのときの自分の生の気持ち。

外向けのブログやInstagramだけではなく、普段から感じたことなどを記しているマイノートも、続けている理由は同じです。嬉しいことだけでなく、辛いことや悩んでいることまで書いているのは、例えマイナスの感情だとしてもなかったことにしたくないから書いているというのが強いです。現に今、とても悩んでいることもマイノートに書いていて、後から振り返ればそんな些細なことで悩んでたのかと思うようなことですが、なかったことにしたくない。そんな感じかなぁと。

「結晶化」

わたしのこの長々とした思いを一言にするとすると、本当にこれに尽きるかもしれません。

そしてその結晶化した色々を、大きくなった子どもたちが見て読んでどう感じるのか、それも楽しみにぼちぼち続けていきたいと思っています。

最近ひとりごとみたいな話ばかりすね!いつも読んでくださって本当にありがとうございます。

良い週末をお過ごしください^^