今日は、とある本を読んで考えた、自分の働き方や家族の在り方についての話を書きたいと思います。
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薄ぼんやりと、今の在宅ワークをいつまでも続けられないから、ゆくゆく今後はパートに出ることもひとつやなぁと考えていました。
そこには、夫婦共働きが当たり前であるという漠然とした時代背景や、なんとなく社会に出て働いていないと後ろめたいような引け目が少なからずあるからだと思います。
でも、本当に外に出て働く意味は?わたしが稼ぐ必要のある金額っていくら?そもそも家族として収入の目標値は?今優先すべきことはなに?など、ぐるぐる自問自答しているかんじが続いていました。
そんな時、数年前にとあるブログで読んだ記事を思い出し、その連載が書籍化された本を読みました。
一田憲子さんの「「ムカついても、やっぱり夫婦で生きていく」という書籍です。

元々は一田さんのブログで「夫婦ってなあに」というタイトルで連載として組まれていた内容で、様々な夫婦を取材して夫婦の在り方について書かれています。
バリバリ仕事をこなしているキャリアウーマン的な方が多い中、おひとりだけ専業主婦という肩書で取材を受けられている方がいらっしゃいました。
そのご夫婦の価値観や考え方にとても共感するところがあり、先にその部分引用します。
「以前、パパが友達とこんなふうに語っているのを聞いたんです。私が子育てしながら働いても、月に10万程度ですよね。
それでクタクタになって帰ってこられて、家の空気が殺伐として、『私も働いているんだから、家事をやってよ』なんて言われるんだったら、私が働く10万円分を、僕がもっと頑張って稼いだ方がいいって。へ〜って思いました。」
妻側がゼロから10万稼ぐのか、既に仕事をしている夫がプラスアルファ10万稼ぐのか。
わたしはここに、単に「誰が働くか」「専業か共働きか」という二項対立ではなく、金銭的なことも含めて家族の空気感や役割の重心をどう置くか、というような問いが集約されているように感じました。
タイトルを「『あと5万円』を誰が稼ぐのか」と、金額を5万円に置き換えたのは、今わたしがパートを始めたとして月々にいくら収入を得られるのかを具体的に考えたからです。
改めて、わが家の場合のプラス5万円に集約されているものについて考えてみます。
【妻(わたし)が外で稼ぐ5万円】
→ リスク分担できる代わりに、通勤や気疲れによる精神的負担感、時間の分断、家の空気の変化(子どもが休む場合の夫婦間の調整など)
【夫が稼ぐ5万円】
労働時間の増加、責任の集中、しかし家庭のリズムは維持される
どちらを選ぶかで、金銭面的なわかりやすい指標だけでなく、家族という一つのシステムの形が変わることになるのです。
夫ともこの話をしながら、改めてお金のことや働き方、子育てのことなどを話し合い、わが家の場合は「夫が稼ぐ5万円」をとるほうが、今は合っているということが分かりました。
もちろん、しっかり働きながら家のことや子育てもちゃんとされている方がほとんどだと思います。
でも、不器用なわたしはそれができない。できたとしても、おそらく家の中にギスギスした空気感を漂わせてしまう。
それは夫も理解してくれていて、わたしが家にいることで安心して働くことができているそう。
双方納得しているのなら、今はプラス五万円を夫に頼ってみようかと。

でも、専業主婦って…時代錯誤?
専業主婦という「働き方」を考えるにあたって大切だと思うのは、「わたしは5万円稼げないから家にいる」ではなく、「誰がその5万円を担うのが、この家族にとって一番“健全”なのか」、という視点です。
専業主婦であることは、
• 労働からの逃避ではなく
• 自己実現の放棄でもなく
• 「見えないコスト」を引き受ける働き方
家の空気を整えること、子どもの情緒の土台を支えること。(専業だからといって完璧を目指せるわけではありませんが)
これらはすべて、市場価値には換算されないけれど、家族価値には直結する労働。
なんてことを色々と考えました。
今後ずっと夫の収入に頼ると決めたわけではなく、現時点ではこの判断。これから子どもの成長や必要な生活費も変わってくるので、その都度、夫とは話し合いをしていきたいと思っています。
その時にも、今のわが家にとって「あと何万円」必要で「誰が稼ぐのか」という視点を持って、あらゆる角度から家族の在り方を考えていきたい。

一田さんの本は、自分の仕事を持っておられる女性だけでなく、最後の章に専業主婦のご家庭をとりあげられていることで、ぐっと深みが増していると感じました。