年長クラスに通う次女。
来年の春には新一年生です。

先日、卒園文集の個人ページ用紙が配布され、名前や好きな給食メニュー、大きくなったらなりたいものなどを記入する欄がありました。
平仮名をほぼ書けるようになっているので次女自身に書いてもらったところ、驚いたのが「大きくなったらなりたいもの」の欄。
「なににもならない」と書かれてありました。
この一言だけを切り取ると「え、大丈夫?夢とか希望とかないの?」となりそうなところですが、わたしと夫は揃って爆笑。(次女のいないところで)
普段の彼女の様子を見ていたら、そう書いた理由がよくわかるからです。

次女は、今この時を全力で生きている!というタイプ。
あと先考えずに今したいことをする、言いたいことを言う。長女は明日の予定や少し先のことを考えて今の身の振り方を考えている節があるのですが、次女は本当に今を楽しんでいる。
長女が「早く大人になりたい」と言うのに対して、次女は「ずっと5歳がいい〜」と言っています。(もう6歳なのに)
そしてもうひとつ、「何にもなりたくない」と書いていても心配しない理由があります。
それは、彼女の口癖。
「おまたせ!」
この言葉、本当に「待ってたよ!」という場面でもよく使っています。
例えば、家族でトランプの7並べをしている途中で、次女がトイレから戻ってくるのを待っている時。
こんなときに「おまたせ!」と戻ってくる。
でも、特に待っていないよ〜って言う時にも彼女は「おまたせ!」と言ってやって来ます。
わたしが台所で料理をしているとき、こちらから次女を呼んでいないのに、「おまたせ!」と言って踏み台を持ってきたり。
お風呂場で身体を洗い終えて浴槽内に入ってくるときも「おまたせ!」。
ガレージで洗車している夫の元に行くときも「おまたせ!」。
待ってない待ってないと思いつつ、いつも笑えてしまうのですが、この「おまたせ」という言葉を使ってくれるのはなぜか嬉しく感じるのです。
次女は何も考えずに発しているとは思うのですが、そこに自分を待ってくれている人がいるという安心感から出てくる言葉のように思えることで、わたしは嬉しい気持ちになるのかもしれません。
自分がそこに「在る」ことに対して、何も違和感なくいてくれるありがたさ。

こんな風に、次女は今を全力で楽しんでいること、「おまたせ!」が口癖にあるように自分自身の存在を肯定できていることを日々感じているので、卒園文集の「大きくなったら…」の欄に「何にもならない」と書いていても、わが家では心配事ではなく笑いの方へ自然に向いていったような気がしています。
これからものんびりのびのび、彼女のペースで今を目一杯楽しんでくれたら。

その様子を良い距離感で見守っていこうと思います。