“なぜか新書で泣けた”
こんな感想がSNSで流れてきて、気になっていた本が「考察する若者たち」。
早く、早く読みたい!と思いつつ、先日のサイン会まで待って、帰りの電車内で読み始めました。
そして2日かけて読了。
わたしも最終章で著者の熱量に圧倒され、うるっと来るものが。
半ば畳み掛けるような熱のこもった言葉の数々、最後の一文は何度でも読み返したいと思うほど。
小説やエッセイで泣けることはあるけれど、まさか新書でここまでグサっとくるものがあるとは…。
考察と批評、平成と令和、萌えと推し、自分らしさと生きづらさ、報われ消費、最適解…。
わたしは平成元年生まれなので、どっち側でもない、どっち側にも共感するところがあると思いながら読み進めていきました。
面白いと思ったところを思いつくままにメモに残します。

・最適化されるほどに固有性を失う
YouTubeなどのSNSではプラットフォーム側が、パーソナライズ化してレコメンドしてくる。だから例えば、わたしのYouTubeトップ画面と夫のそれとではまるで違う動画が挙がっています。
このことに対して、わたしは固有性が出ていると思っていた。車好きな夫と、暮らし系が好きなわたしの違いが明白に表れているから。つまり、より多様性のある動画視聴体験ができているのでは、と感じていたのです。
でも、この本を読んで、その逆だった!ということに気が付かされました。
たしかにわたしと夫だけで比較をするとそれぞれの固有性が引き立って見えるけれど、「界隈」として捉えた場合はどうかという視点が抜けていたのです。
おそらく、わたしのように暮らし系ジャンルの動画をよく観ている人、いわゆる「暮らし系界隈」の人たちの画面は、わたしのYouTubeトップ画面と似たような表示になっている。
そして車好き界隈でおすすめされている動画と同じものが、夫の画面にも挙がってきている。
“界隈”としてフラット化、最適化されたものが、オートでどんどんレコメンドされることによって、“選ぶ自分”という存在が必要なくなるということ。
何が観たいのか何が欲しいのか、最適化された正解が表示されていて、それはその界隈の人間に同じ現象が起きている。つまり、最適化されるほどに固有性は失われていく。
報われない行動、誰にも理解されない偏愛、失敗談や寄り道をするからこそ、他人にも寛容でいられるのでは。
正解めいたもののない自分ならではの問いかけを見つけるのには時間がかかる。無駄かもしれない。でも、最適化に抗うには必要。
このあたりは以前読んだ「人生のレールを外れる衝動のみつけかた」という本の内容とも繋がっています。
・人生は「報われないおとぎ話」
努力したぶんだけ、かけた時間だけ報われたいと願う現代。
でも、そもそも人生の大半、努力したことが報われることの方が少ない。人生トータルして見ると、報われないものだという前提に立つほうが、正解を求めずに、最適化に抗うことができる。そこに個別性が宿る。
・人の時間がお金になる時代
アテンションエコノミーという経済学の概念、人々の関心や注目を集めることが何よりも経済的価値をもつ。
YouTubeを収益化している立場としては、動画の再生数によって収入が変わる。具体的には広告の表示回数なのですが、そこには観てくださる人の大切な時間が紐づけられているのだ、というごく当たり前のことに改めて気付かされた。
タイムイズマネー、時は金なりという言葉。
そもそもは、自分の時間はお金の価値があるという意味に捉えていたけれど、今の時代「他人の」タイムが「自分の」マネーになっているという別の意味合い、解釈もできる言葉になりつつあるような気がする…と感じました。
とにかく終章が好きすぎる本!
何度も読み返したいぐらい、三宅さんの本の中で今のところ一番好きです。