「気軽」であることと「気楽」であることは違う

2ヶ月ほど前に始めた音声配信プラットフォーム「Voicy」での配信が、先日50回目を迎えました。

とりあえず第一目標クリアという節目として、音声配信を始めてから気付いたことを書いてみようと思います。

それは、「気軽」であることと「気楽」であることは別物だということ、です。

2つとも意識して使い分けることはなかったのですが、改めて意味を調べてみました。

「気軽」とは、気負わず、簡単に、また気さくに行動できる状態。

「気楽」とは、心に苦労や心配がない、物事を気にかけないさま。

つまり気軽は行動面、気楽は精神面についての言葉。

わたしが今発信しているプラットフォームは、Instagram、YouTube、ブログ、そしてVoicy。

InstagramとYouTubeは一括りで表面(A面)のグループ、ブログとVoicyはどちらかというと表に出すまでもないグループ(考えがまとまってなかったり、発信するまでもないようなことをつぶやく場所)。

ブログとVoicyは同じような位置付けなのですが、ブログは「気軽」ではないけれど「気楽」ではあり、Voicyは「気楽」ではないけれど「気軽」にできる。(あくまでわたしの場合)

どういうことかというと、ブログは投稿するまでの工程数が多い(=気軽ではない)けれど、文章はゆっくり考えたり言葉を調べたりする時間がある。ブログは本当にメモ書き程度なので誤字脱字があるにしても、後から修正できるという点で安心感があり、気楽に続けられています。

文章を考え、写真を選び、サイトに写真を読み込み、文章と写真を構成し、サムネイル画像とカテゴリ設定をして投稿までが一連の流れ。行動面での気軽さはないけれど、精神面の気楽さはある。

一方でVoicyはどうかというと、ボタンひとつで収録可能。あとはBGMも勝手に付けてもらえるし、画像を貼る必要もなく、行動面ではとても気軽な反面、わたしの場合気楽には発信できていないなぁと感じています。

わたし自身、まだまだ話すことに慣れておらず、言葉選びの瞬発力がない。いつも一辺倒な話し方になる。

そして後から修正できない(削除はできる)ので、間違った言葉選びをしていないか、ちょっとした発言で聴いてくださっている誰かを傷つけていないかということを、すごく考えてしまうのです。

Voicyを始めたことで感じた気軽と気楽の違い。

これが認識できたことは、他の人に接する時に役立つかもしれません。

良い例が思い付きませんが、例えばご高齢の方が生協宅配を利用するときに、これまで紙の注文書を使っていたとします。

ネット注文の方が確実に手軽なので勧めるけれど、本人はこれまで通り紙を利用したいと思っているなんて場面がよくあると思います。

このとき、このご高齢の方にとってネット注文は気軽だけれど気楽ではない存在。ちゃんと注文できているかどうか、スマホの操作に慣れていないなど理由は様々としても。

誰がどう見てもこっちのほうが便利やのに〜と勧めても相手が受け入れない時、気軽さと気楽さは別物だという認識ができていると、相手の気持ちに寄り添うことができるのでは。

話は逸れましたが、気楽ではないけれど気軽ではあるVoicyの配信を、わたしはこれからどうしていきたいのか。

答えは、これまで通りの配信のペースで続けてみるということです。

Instagramやブログのように楽しくて発信しているという境地にはまだ至っていませんが、やめる理由がない限りは音声配信を自分の課題として取り組んでみようかなぁと。

Voicyで話してことをブログにしたり、ブログで下書きしたことをVoicyで喋ったり。Voicyで質問いただいたことをヒントにYouTubeのテーマを考えてみたり。

色々なプラットフォームが相互に関係し合っていることも、Voicyを始めてみての気付きでした。

Voicyをなるべく気楽に収録するために、長期連休以外は基本的に収録は放送日の前日にしようと思っています。

何日も前に収録してしまうと、放送日までの間「あの言い方間違ってたかな」「もっかいとり直したほうがいいかな」と気を揉む時間が多くなって頭の中がぐるぐるに。

朝4時の放送なので、前日に収録したらそのままま出すしかない状態。これがあれこれ考え込んでしまうクセのあるわたしにはちょうど良いかもしれません。

まだまだ紆余曲折しそうな音声配信ですが、やめる理由がない限りは続けてみようと思っています。