すれ違いは“語尾”から始まる

Amazonプライムで「佐藤さんと佐藤さん」という映画を観ました。

2025年11月に公開された作品です。

あらすじとしては、大学で出会った正反対な性格のふたり(どちらも名字が佐藤)は、付き合って同棲を始める。弁護士を目指している彼氏側のタモツは司法試験に失敗。彼女のサチは独学を続けるタモツに寄り添い応援するため、自身も勉強をして司法試験に挑むことに。その結果、合格したのはサチひとりだった、というところから弁護士になったサチと、子育てと家事をしながら勉強し続けるタモツのすれ違いが始まっていくというストーリー。

公式ホームページのでも「さよならまでの15年」とあるように、付き合い始めてから15年間の2人が描かれている作品。

ひと組のカップルが長期間にわたって出会いから、すれ違う時期を経て別れを迎えるというストーリーは、どこか「花束みたいな恋をした」を思い出すところがあるなと思いながら視聴しました。

花束〜の方は、結婚前に別れを迎えますが、佐藤さん〜の方は、結婚もして子どもも生まれます。

そういう意味では、今のわたしの実生活に近いこともあり、よりリアリティを持って引き込まれました。

この映画、タモツとサチのすれ違いが大きなテーマなのですが、大きな事件みたいなことは起こりません。

例えば浮気とか、不倫とか。あるいは子どもにどちらかが虐待してるとか義父母とうまくいかないとか。

そういった外部要因的な不協和音は起こらない日常。でも、すれ違いって本当に些細なことで生じるのだなぁということが、切に伝わってくるセリフや表情が散りばめられていて、あくまでふたりの関係性がわからないレベルで変化していく様子が描かれています。

例えば、語尾。

こんなシーンがありました。

その時すでにサチは弁護士として働いていて、タモツはバイトをしながら司法試験の勉強をしている状況。

そんな中で、サチがタモツに「トイレットペーパーないよ」と言うのです。

それを聞いたタモツの顔が、思わず歪む。

「ないよって、それどういう意味?」みたいな。

「トイレットペーパーもうない“よ”」か、

「トイレットペーパーもうない“ね”」か。

前者は、あなたが買いに行っておいてねという意味に聞こえる。後者は、ただ「ない」という事実の共有に留まっている。

同じ内容でも、語尾次第で受け手の印象はすごく変わるなと感じました。

タモツが試験に受からずバイトの身分という状況でサチに対して引け目を感じていたから、余計にわたしもタモツに感情移入してそう思ってしまったのかもしれません。

でも、人間って、たった語尾ぐらいでも徐々にすれ違っていくには十分すぎるぐらい互いの価値観が透けて見えるのだな、と痛感。

わたしは関西に住んでいるので、「もうないよ」なら「もうないで」に、「もうないね」なら「もうないなぁ」と若干語尾は変わるものの、「よ」と「ね」と同じぐらい受け手の印象は変わります。

何気なく放った夫へのひと言を後悔したり、語気が強すぎたと反省したりすることはあるのですが、語尾に関しては無頓着だったかも。

そして神は細部に宿るじゃないけれど、自分が相手をどう思っているか、どんな関係性を築いていきたいのかが、知らず知らずのうちに語尾に込められているような気がしてきました。

ケンカして謝って仲直り。きつい言葉と優しい言葉。分かりやすく人間関係を修復したりすることはできても、語尾ですれ違っていくこともある。

この映画の象徴的なシーンだったなと、振り返ってみて書き残したくなりました。