失敗談には“意味付け”での前に“反省”を

前回の失敗話に続き、そこからさらに考えたこと。

失敗したとき、わたしはすぐにこう思ってしまう傾向があります。

「いい経験になった」

「必要なプロセスだった」

「きっと将来の糧になる」

そう思えた瞬間、少し楽になるような感覚があるからかもしれません。

でも最近、それって本当に失敗の振り返りになっているのだろうか、と考えるようになりました。

もしかすると、反省ではなく即「意味付け」をしてきれいにまとめてしまっているだけかもしれない…!

そんなことも踏まえて、前回のブログでは失敗談から反省点を振り返ることで、さらに反省点が共通している失敗話を3つ書いてみたというわけなのです。

反省をすっ飛ばして、即美談にまとめてしまう意味付けをしてしまっては、その後に活かせないのでは。

意味付けと反省の違いについて考えてみました。

意味付けの特徴は、感情を落ち着かせることが目的。やたらと出来事にストーリー性を帯びさせてしまって、そして最後は前向きな言葉で締めくくる。

「学びになった」的な。

でも、そこに具体性はないわけで。

何がズレていたのか、どの判断が誤っていたのか、何を変えるのか。

そこまで踏み込まない限り、行動はあまり変わらない。

意味付けは心を守る一方で、再発防止には弱い面がある。

一方で、反省は少し痛みを伴うものです。

反省の特徴は、感情ではなく、起きたことを整理する。

次に、自分の判断を検証する。「どの前提が甘かったのか」「何を見誤っていたのか」

そして最後に、「次は何を変えるのか」と再発防止策を具体的に考える。

ここまでやってこその、反省なのかな…。

今自分がしていることは意味付けなのか反省なのか、どうやって見分ければ良いのでしょうか。

自分への問いかけでわかる場合が多いように思います。

「で、次は何を変える?」「どの判断が具体的にズレていた?」「同じ状況が来たら、どうする?」

この問いに答えられない場合は、反省ではなく意味付けに走ってしまっている可能性が高い。

逆に、“次の行動が具体的に一つでも決まっている”なら、それは反省になっている。

失敗に無理やり意味付けをして、きれいな物語にしなくて良い。結果的に何らかの意味があることが多いとは思うけれど、それは自分で能動的に見つけるというよりも、時間が経ったあとに自然とじわじわ感じられるものなのでは?

だから、意味付けの前には反省を。

それが、失敗をきちんと次に活かせる方法なのかもしれません。