子どもの「自分事」意識を高めるための工夫

わが家は特に子どもとの家事分担はせず、今は自分の身の回りのことを自分でやってもらうことを優先しています。

登園・登校の準備、帰宅後の片付け、食事のあとは食器を下げたり脱いだ服は洗濯かごに入れたり。

意外とやる事は多いので、これがわたしにとっても一番助かります。

以前ブログで書いたように、「自分のことは自分で」と併せて「できないとには誰かに頼る」ことも伝えつつ、日常の生活から自立の第一歩を見守れたらなぁと。

話が少し逸れましたが、自分のことを自主的にやってもらうために1番必要なことは何かと考えると、「いかに自分事として捉えてもらうか」だと感じています。

誰かが準備してくれる、誰かがいつも助けてくれるという気持ちでいる(=他人事)と、なかなか手が動きませんが、「自分で動く、自分が関係している」と主体的に物事を捉える姿勢でいると、自然に行動できるのは大人も同じ。

ここからは、少し前から遡ってみて、娘たちに自分事化してもらうために意識していることをご紹介します。

①好きなことから自分事化

子ども自身の興味関心が深いことから始めるのがスムーズ。

わが家の姉妹はとにかく食いしん坊で、食に対する執着(もはや執念)が強いので、食べることに関して自分事化することから始めてみました。

食事の時間になったら、子ども用のカトラリーを入れているカップをちゃぶ台に運ぶ。座布団を敷く。食べ終えたら食器を台所まで下げる。

この一連の流れを幼い頃からやってもらっているので、今では当たり前になっています。

②失敗体験による自分事化

少し冷たい対応に聞こえてしまうかもしれませんが、特に深刻な事柄でないちょっとした失敗は、あえてフォローせずそのままにすることがあります。

例えば、幼稚園に通う次女のプールカード。

毎日体温を記入してプールに入るかどうか親のサインがなければ、いくら本人が元気でもプール遊びができません。

プール遊びが大好きな割に、朝の準備の時、毎日のように「プールカード入れてへんで〜」と声掛けをしないと忘れてしまう次女。

ある日、わたしも朝バタバタとしていてこの声掛けをせず登園すると、案の定プールカードを家に忘れていました。

家に戻ってからそのことに気付いたわたしは、「今から届けに行ったらプールに間に合う!」と思ったのですが、いや待てよ…と思い直し。

カードを忘れるとプールに入れないということ、自分でカードを入れないと確実にプールに入ることはできないということを実感してもらえる良い機会なのでは。

プールに入れなくて悲しそうな次女の顔を想像すると胸がぎゅっとなったのですが、あえて届けることはせずそのままにしました。

すると翌日から毎日、プールカードを真っ先に通園リュックに入れるように。

次女の中で「プールカードを持って行く」という行為が自分事化されたなと感じました。

毎回ではありませんが、時と場合によって、子どもの状況によって、致命的な失敗でなければあえてフォローせず見守るということに止めることで、本人自身の気付きや成長に繋がることもあるのかもしれません。

とはいえ子育ての専門家ではないので、その辺りの匙加減や見極めは難しいですが。

③子どもがいる時間に家事をして自分事化

これは少し遠回りな方法かもしれません。

娘たちがもっと幼かった頃は、子どもがいない時期にいかに家事を終わらせるかが毎日の最大のミッションでした。

起きてくるまでの早朝、仕事から帰宅して迎えまでの数十分の家事を何度もシミュレーションしていたことを思い出します。

そこから少し成長すると、子どもがいても家事を進められる状況になってきました。

そこで無理に家事を先回りで終わらせておくのではなく、ある程度は子どもと家にいる時間に家事をして、生活するためには色々なことをする必要があるということを感じ取ってもらえたらと。

平日はやはりバタバタするので朝に夕食づくりをする習慣はそのままですが、洗濯物を畳んだり乾いた洗い物を元に戻したりするのは、最近では娘たちの帰宅後にすることが多いです。

直接家事を手伝ってもらうわけではありませんが、生活するためには色々なことを誰かがこなす必要がある→自分にできることは自分でやろうという意識が間接的に芽生えることもあるかなと感じています。

先日長女からもらった手紙には、こんなことを書いてくれていました。

これから成長していくにつれ、子どもが家にいる時間は短くなります。部活や友達との遊びで忙しくなると、家事の途中経過ではなく完了した状態を見ることの方が増えてくるのではないかと、わたし自身の子どもの頃を思い出しています。

完了した状態とは、「掃除が終わった家に帰ってきて、出来上がった料理を食べ、洗濯を終えて定位置に収まったタオルとパジャマで寝る準備をする」みたいなこと。

幼児期・学童期の今のうちが、家事の途中経過を見ることのできる貴重な期間なのかもしれせん。

見せつけるように家事をするのではなく、生活するための作業として色々な行程が必要であることを、なんとなく感じ取ってくれたらいいなと思っています。