車の免許を持っていないことによる不便益

明けましておめでとうございます。

昨日の大晦日は、久しぶりの京都で、これまた久しぶりに会う友達とランチ。

思い返してみると、5年ぶりの京都…!

学生時代は、まるで自分の庭のように京都駅周辺を歩き回っていた頃が懐かしい…。

一緒に歩き回ってくれていた友達との再会も本当に嬉しくて、あっという間の1日でした。

家から京都までは片道1時間半ほどのプチひとり旅。(元気で過ごしてくれている娘たちと子守りをしてくれた夫に感謝)

この道中で考えたことを今日は書いてみようと思います。


わたしは車の運転免許を持っていません。田舎での生活、しかも子育て中となると「絶対今からでも運転できた方がいいって〜」とよく声を掛けられるのですが、今のところはそのつもりはなく…。

たしかに、幼稚園の送り迎えはタクシー(自治体の制度で安く済むので助かっていますが)だし、小児科までもタクシーで片道2500円。

前に住んでいたところよりも圧倒的に不便な地域なので、弊害はたくさんあります。

でも、メリットも感じています。

例えば、昨日のように京都駅まで行きたい場合は最寄りのJR駅まで行く必要があります。

そのためにはまず、家からバス停まで20分程歩いてバスに乗車。

時間帯によっては1時間に1本しかないときもあるので、時間厳守。

このように工程や時間が決められていることを考えると、遠出をするのが急に億劫になります。

わたしは元から歩くことは好きなので苦痛ではないのですが、車が羨ましくなるのは「時間を気にせず好きな時に出かけられる」ということ。

何時の電車に乗るためには何時のバスに乗って…と調べたり、当日も時計を気にしながら行動することは意外と疲れます。

ここまで書いてくると、車を運転できないことのデメリットばかり感じられるかもしれませんが、表裏一体、これがメリットになることもあるのです。

①人間関係に優先順位が付けられる

昨日のように、心から「会いたい」と思っている人、「行きたい」と思っているイベントは、何の躊躇もなく予定に入れて出掛けます。

何かのお誘いやイベントの告知があったとき、少しでもバスと電車が面倒だなぁと思ったら、それは今の自分にはそこまで必要としていないサイン。

もし駅前に住んでいて車がなくても気軽に出掛けられるという状況なら、この感覚は変わってくるかもしれません。

でも、わたしのように複数の交通機関(しかも本数の少ない)を乗り継ぎながらしか移動手段がない場合は、自分の本心を探る良いバロメータになっています。

②よく考えて買い物をするようになる

今はネットでいつでもポチポチ買い物ができる時代ですが、作家さんの器や手仕事の台所道具など、わたしが心惹かれるものは実店舗や個展でしか購入できないものもあります。

SNSで見る度に「いいなぁ〜」と思うのですが、実際に足を運んだのは数回ほど。

いいなぁ〜と思っていても、いつの間にか忘れているものや、今の生活にはやっぱり必要ないなと気付くには一定の時間をおく必要があります。

車を運転できないからすぐに見に行けない、買いに行けないという状況は、物欲にブレーキをかけてくれるストッパーのようなもの。

そして本当にずっと心に残っているものだけを、買いに行く満足感。

車を運転できないことは圧倒的に不便ではありますが、その不便から得られるメリット=不便益も十分感じながら免許なし生活を送っています。