モノを捨てても幸せの数は減らない

おはようございます。

昨日はだいぶギリギリ感のあるバナナを使うために、米粉バナナマフィンを焼きました。

バナナを使ってお菓子作りをするとき、いつも思い出すのが「バナナが黒くなったからバナナケーキを焼くのではなく、おいしいバナナケーキを焼くためにバナナを黒くしている」という言葉。これをどこで読んだのか全然覚えていないのですが、おそらくスマホでレシピを探していたときか、何かのエッセイかなと思います。これって考え方ひとつだなぁと思いませんか?

「おいしいバナナケーキを焼くためにバナナを黒くしている」と考えると、黒くなるまで放置していた自分も肯定的に思えるというか。


さて今日は、もうひとつ「考え方ひとつだなぁ」と感じた話。思い出のものを手放したいけどなかなか踏み出せないときに、ポンと背中を押してもらえる考え方、手放してよかったのかモヤモヤしている心がすっきり晴れた考え方についてお話しようと思います。

あくまでも無理に手放すのではなく、手放したい気持ちがありながらも、なんとなく手元に残している、でも手放したいと思っているもののこと。(ややこしい)

わたしは割となんでも手放せるタイプで、卒業アルバムも楽しかった高校時代のもの以外は手放しました。もらった色紙や手紙なんかも、手放す前に一読して紙ゴミ入れへ。子どもたちの赤ちゃん時代の服も誰かにあげるかウエスにしてしまって一枚も残っていません。

それでも、手放しづらかったものもあります。例えばピアノ。前にピアノを売却した話をしましたが、小学生時代からずっと弾いてきたピアノを業者さんに引き渡すときは、これまでの思い出も一緒に連れて行かれるような感覚がありました。もう半年以上も前のことなのに、あの判断が正しかったのかと思うこともあります。

そんな中で、これまたVoicyで整理収納関係のお話を聞いていたときに、「モノを捨てても、幸せの数は減らない」という言葉が流れてきて、すとんの自分の中に落ちた感覚がありました。

そう、モノは現実的にはなくなっているけれど、そこから得られた幸せな体験や時間は奪われたわけではない。実際に、通っていたピアノ教室の様子や先生のこと、発表会で緊張したこと、演奏を褒められたこと、今でもたくさん思い出は心の中にあります。その時々の気持ちは、その時がピーク。もちろんあとから振り返って懐かしむこともできますが、今は全然弾かないピアノを家に置いたままにしていても、幸せ度が上がるわけではなかったのです。

見る度にモチベーションが上がったり、大事なことを思い出すきっかけになるような場合、手放すという気持ちがない場合は、無理に手放す必要もないし、むしろ残しておくべきだと思うのですが、手放したいけど手放せないものを決めるとき、ひとつの考え方として覚えておきたい言葉だなと思いました。

今日も最後までお読みいただき、ありがとうございました!