「好きなもの」より「納得したもの」にこだわりたい

こんにちは。

今日も気持ちよく日差しが入る秋晴れの日です。

今日は、ラジオを聴いて感じたこと、考えてみたことをつぶやこうと思います。

お時間ある方は、お付き合いいただけたら嬉しいです。


今朝、いつも通りVoicyを聴きながら家事をしているとミニマリストの方の配信で、「『好きなものだけに囲まれたい』こだわりを捨てる」という内容の配信をされていました。

好きなものだけに囲まれて暮らせるって、すごく理想だなぁと思う一方で、どこか違和感を感じていたのですが、この話を聞いてその違和感の正体がはっきり分かりました。

それは「好きなものに囲まれた暮らしは、際限がない」ということ。

好きなものって、その時々で変わると思いませんか?例えば今「好きなもの」として使っているカバンがあったとして、そのカバンと同じブランドから、もっと自分好みなデザインのカバンが出るとすると、その新しいカバンの方が「好きなもの」に変わります。そこで「好きなものに囲まれて暮らしたい!」というこだわりが強すぎると、すぐに買いたくなるみたいなこと。わたしは過去によくありました。

自分の単なる好みが変わったというだけでなく、新しいものが出るたびに好きなものが目移りし、それを買わないと「好きなものに囲まれた暮らし」ができない。だから新しいものを買う、のように際限なく購買行動をしていくことになるのだと思います。

もう一つ、わたしが好きなものに囲まれて暮らすことに感じていた違和感は、それにこだわりすぎると家族との共同生活が成り立たないということ。

一人暮らしの場合なら、本当に自分が好きなものだけを置くことが可能だと思いますが、これまで違う環境で生きてきた夫、そしてまだまだ小さな子供と過ごす生活は、好きなものだけに囲まれたいというこだわりを捨てないと、暮らしにくい家になってしまいます。いい意味で、前向きに妥協することが大切かなぁと。

例えば、わが家のアルバム。本当にわたしが好きで使いたいアルバムは、OURHOMEさんのアルバムなんですが、紙のアルバムは子どもがぐちゃぐちゃにしてしまうこともあって、今は無印良品のポリプロピレンアルバムを使っています。

子どもたちもめくりやすそうで破れることもないので、今はこれがわが家にはちょうどいいなと納得して選んでいます。

もう一つ、パン皿として11,000円程度のものを使っているのですが、本当は作家さんの木彫りのパン皿を使いたい!でも子どもに使わせることが多いので、今は雑に扱われてもわたしのストレスが無い、これぐらいのお値段のものがちょうどいいかなと。しっかり木目もあって、プラスチックのお皿より気持ち良く使うことができるので納得しています。

他にも、子どもと暮らしていることで、好きなものなのに置くことを諦めたり、置きたくないものを置いておかないといけないこともあります。

わたしはリビングにたくさんグリーンを飾ることが理想なのですが、今はおもちゃ収納メインのリビングなので、今の暮らしではその憧れを手放しています。

逆に、置きたくないもので言うと、例えばトイレの補助便座や踏み台など。大人だけなら必要ないのでもう少しスッキリできるのに〜ということもあります。

でも、今はこういう生活、と割り切って納得して、そもそも好きなものだけで暮らすことを諦めているところも。

ラジオの配信を聴きながら思ったこと。今の暮らしを見つめて前向きに妥協しながら、「好きなもの」というより「納得したもの」というところにこだわってモノ選びをしていきたいと思っていることに気付かされたような気がします。

今納得して選んだモノも、子どもの成長などによって買い替えていくこともありますが、しっかり納得して選んでいれば、その段階ではそこが頂点でそれ以上はない。新しい何かが出たから、他人が持っていて羨ましいからという他人軸で買い替えるのではなく、今の自分の暮らしが変わった時に、その時必要で納得できるモノという自分軸の判断基準になり、買い替えの頻度も減って、愛着も増すことに繋がりそう。

言うなれば「#納得したものに囲まれた暮らし」みたいなイメージ。笑

それを自分だけでなく、家族も満足して納得して使ってくれるモノ選びをこれからも楽しんでいきたいと思います。

長い独り言になりましたが、最後までお読みいただき、ありがとうございました!