読書の動機は不純なもの/本を読む媒体の選び方

「読書=紙か電子か」みたいな二択の話をよく見聞きします。

最近では耳から聞く読書、耳読も手軽に楽しめるようになり、本を読む選択肢は増えてきています。

それぞれその時々の自分に合った媒体を選べば良いので、どれが一番良いかという話ではありません。

ただ、どれを選ぶか迷ったとき、もっと手前の“なぜ読むのか”に立ち返ることが大切ではないかと感じています。

まず、読書の動機って実は一枚岩ではありません。

物語や知識を楽しみたいという純粋な読書体験を求めることがほとんどですが、その他にも

• 情報を効率よくインプットしたい

• スマホやデジタルから離れたい

• 生活のリズムを整えたい

• 子どもに「本を読む姿」を見せたい

などといった裏の動機みたいなものも含まれてくると思います。

「読むことそのもの」以外の目的がかなり大きい割合を占めていることもある。

そうすると、紙か電子か、はたまた耳からかという媒体選びって“優劣”じゃなくて“適材適所”という考え方になるのでは。

たとえば、

【紙の本】

→ 手触り・視覚・空間ごと切り替わる

→ デジタルから離れるという目的に強い

→ 読んでいる姿そのものが可視化される(=子どもに伝わる)

【電子書籍】

→ 持ち運びや検索、即時性

→ 「今すぐ知りたい」に強い

→ 隙間時間のインプット向き

【オーディオブック】

→ 手や目が空かないときでも使える

→ 家事や移動と共存できる

→ 「ながら時間の有効活用」という目的にフィット

わたしの場合は、

• スマホと距離を置く時間をつくりたい

• “本を開く姿”を子どもの前で自然に見せたい

という読書の裏テーマ的な目的があって、そこには紙の本が一番しっくりくるという感覚。

だから結果的に“紙派”になっているだけで、紙こそが読者体験だ!と信じているわけではないのです。

そしてもうひとつ、読書する動機は不純で良い!とも思っていて。

不純というと言葉がキツイかもしれませんが、純度100%でなくて良いというイメージです。

読書体験を楽しむ以外の目的、スマホから離れる手段としての読書も立派な読書。

思い返せば、わたしがどっぷり本好きになった中学生時代も、本を読むというポーズから始まっていました。

仲良し女子グループがクラスでできていく中、わたしはどこにも属したくなくて一人で休み時間を過ごすことが多かったのです。なのに一人で可哀想と思われなくなくて、“わたしはあえて一人で読書を楽しんでいるんですよ”ポーズのために、休憩時間になるとすぐさま文庫本を開くという、思春期こじらせ期を過ごしていました。

でも、ポーズだったとしても当時読んでいた赤川次郎の三毛猫ホームズシリーズはとても面白かったし、結果的に本好きになっている今があります。

話が逸れましたが、紙と電子それぞれのメリットや、自分に合っている合っていないという観点以外に、そもそも読書の目的ってどこに置いているのかという視点からも媒体選びをしてみてはどうでしょうか、と誰かに話してみたくなったので、今日はここに書いてみました。