冷凍コロッケから気づいた、本当の意味の「豊かさ」

「冷凍コロッケも存在し、手作りコロッケも存在する。それがこの世界の豊かさだというのが本書の主張です。さまざまなちがいが織り込まれているという点で豊かなのです。」

三浦哲也さんの『自炊者になるための26週』に、こう書かれていました。

本書はタイトルどおり、26週にわたって自炊者になるための課題が提示され、それらを一つひとつクリアしていくことで、自炊者へと近づいていく構成になっています。

その中で、具体的な料理の手ほどき以上に印象に残ったのが、冒頭に紹介したこの一節でした。

わたしは、この文章を読んで「豊かさ」という言葉の意味について、あらためて考えさせられました。

「豊かさ」という言葉は、どこか抽象的で曖昧なもの。

例えば、「今の時代は豊かになったよね」という文脈で使われることが多いように思います。

そうした場合の「豊かさ」とは、スマホのように手軽で便利なものや、ネットで注文すれば翌日には商品が届く仕組み、コストパフォーマンスに優れた商品やサービスのことを指しているのだと、わたしはこれまでなんとなく捉えていました。

最近ではAIも身近になり、本来は人が行っていた作業を代わりにこなしてくれます。画期的な家電も増え、確かに便利な世の中になりました。

私はどこかで、「便利=豊か」だと捉えていたのだと思います。

けれども、本書のあの一節を読んで、そうではないのかもしれないと感じました。

豊かさとは、便利であることそのものではなく、「選択肢があること」なのではないか、と。

たとえば、コロッケ。

家でコロッケを作ろうとすれば、なかなか手間がかかります。

じゃがいもを茹でてつぶし、炒めた玉ねぎやひき肉と混ぜ、味を整える。小麦粉、卵、パン粉の順に衣をつけ、油で揚げる。調理後には油の処理や、跳ねた油の掃除も必要。

準備から後片付けまで、決して簡単とは言えません。

一方で、冷凍コロッケなら、レンジで温めるか揚げ直すだけですぐに食べられます。しかも、味も安定している。

これは、まさに現代の便利さを象徴する存在。

けれども、豊かさは「冷凍コロッケがあること」自体ではなく、冷凍コロッケを選ぶこともできるし、手間をかけて手作りすることもできる——その両方が存在していることなのだと思います。

選択肢が複数あること。それこそが、豊かさ。

そう考えると、世の中のちょっとした衝突や対立も、少し和らぐのではないかと思えてきます。

「昭和的な古い考え方」「今どきの考え方」といった言い方を耳にすることがあります。

確かに、時代とともに多数派や一般的とされる価値観は変わっていきます。

けれども、それは「古い・新しい」「遅れている・進んでいる」という単純な話ではなく、時代が進むことで新たな選択肢が増えただけなのかもしれません。

より自分に合ったものを選びやすい時代になった、ということ。

何を選んでも良いということ。

たとえば掃除。

お掃除ロボットが床をきれいにしてくれる時代ですが、今でも箒を使って掃除をしている人もいます。ちなみに、わが家はその間に位置する掃除機を使っています。

道具の登場順で言えば、箒が古く、掃除ロボットが新しい。

けれども、箒を使っているからといって、現代の豊かさを享受していないわけではありません。

選択肢が増えた中で、自分に合うものを選んでいるだけ。

以前、いわゆる「丁寧な暮らし」が揶揄されやすい理由について書いたことがあります。

「こんなに便利な道具があるのに、あえて不便そうな方法を選んでいる」という見方から、「便利さを享受していない」「自己満足だ」と受け取られてしまうこともあるのかもしれません。

けれども、便利さと豊かさは、必ずしも同じではない。

豊かさとは、自分の暮らしにフィットするものを選べること。

選択肢が増えている状態そのものなのだと思います。

もしそのことを意識できたなら、「ああ、あなたはそちらを選んだのですね」と、ただそれだけのこととして受け止められるようになるのではないでしょうか。

便利さを選ぶ人もいれば、手間を選ぶ人もいる。

そのどちらも、豊かさをの中にあるのでは。