わたしにとっての究極のご自愛方法

Voicyのトークテーマに「わたしのご自愛」というものがあったので、考えてみました。

色々具体的な行動はあるけれど、「自分を嫌いにならずにいること」がわたしにとって、一番大切にしたいことであり、究極のご自愛方法だと思います。

自分を好きになる必要はない(そう考えようとするとハードルが高い)のですが、せめて嫌いにならずにフラットな状態でいられることこそが、ご自愛に繋がっているのでは…。

このブログでも何度か書いているように、わたしはやりたいことよりやるべきことを終わらせたい。やるべきことを終わらせてからでないと、心の底からくつろげない性格です。

これも、やるべきことをやっていない自分が嫌になりたくないという考えが根底にあるからだと感じています。

少し前に、心を休ませるには身体を動かして家事などの雑事をする方が良いと書いたことがあります。

つまり、やるべき家事をやる→自分を嫌いにならない状態をつくる→心を休ませることができる=ご自愛に繋がっているということ。

最近あった具体例をお話します。

先日、年に一度の自治体で受ける健康診断がありました。

会社員だった頃は、きちんと業務時間内に会社で健診を受けられる制度が整っていたのですが、在宅ワークの今は自治体の制度を活用することになります。

実は昨年はこの健診をパスしてしまっていました。色々と忙しいことを言い訳に、つまり面倒に感じて受けずに終えたわけです。

その後何度か、ちゃんと受けとけばよかったと若干自己嫌悪に。かといって自分から近くの病院の健診制度を調べようともせずに一年が経った今。

今年こそは受けようと自治体から案内が来たら即予約をしスケジュールを空けておきました。

ですが、じわじわその日が近づいてくると同時に、仕事の締切が重なってしまって、また健診に行くのを億劫に感じている自分に気が付きました。

でも、きっとここでまた健診をパスしてしまうと自己嫌悪に陥る。時間をとって健診を受ける方が結果として何も異常が見つからなかったとしても、ちゃんと受けた自分を嫌いになることはない。

むしろ行かなければ自己嫌悪になる。2度目でもあるし。

ということで、無事に受診してきました。

健康診断に行くこと自体もご自愛のひとつですよね。自分の身体のことをきちんとする、整える、労わる行為。

でもわたしは、その観点よりも、きちんと健診を受けることで自分を嫌いにならずに済んだことの方がご自愛なのです。

コーヒー飲んだり、好きなドラマを観たり、買い物をしたり。わたしもよくしているこのような娯楽はご自愛のようであって、小手先だけのまやかしのような気もしています。

こういったものは、その行動をしている時間だけに効く一種の処方箋として取り入れながら、長期的なご自愛方法としては自分を嫌いにならないための行動をとり続けることだと意識して、日々過ごしていこうと思います。