SNS発信で、使わないようにしている言葉があります。
他の人がこの言葉を使っている分にはまったく気にならないのですが、自分が使うとなんとなく違和感があり、意識的に使わなくなりました。
その言葉は、何か新しくモノを購入した際に使われる「お迎えする」という言葉です。
わたしもSNSを始めてしばらくはこの言葉を使っていたので、このブログも初期の頃はそのような表現をしているところがあるかもしれません。
でも、わたしは家族や友達と会話をする時に「お迎えする」という言葉を使うことがありません。会話なら「買った」、文章にしても「購入した」などの言葉の方がよく使います。
なぜSNSでは「モノを買う=お迎えする」という表現になるのか?
完全に個人的な感覚ですが、「買う」「購入する」という表現には、お金の介在を示唆する一種の生々しさのようなものが連想されることから、避けられる場面があるのかなぁと。
わたしは購入品をInstagramやYouTubeで紹介することがあるのですが、その時は「買った」「購入した」という言葉で伝えるようにしています。
あえて自分自身に「お金を支払っているのだ」という自覚、モノに対する責任感めいたものを認識を強く植え付けたいのかも…?(こう書くと変な人でしかないのかも)
「お金を支払って手に入れる」という行為に対して、同じ意味の「お迎えする」という言葉には、あまり責任感を感じられないところが、わたしとしては自分に違和感やむずがゆさを感じてしまう→違和感に繋がっているのかもしれません。
日本語は難しいけれど、自分が使う言葉、使わない言葉からも、その時々の考え方や価値観がわかって、自分を知るという面で実はありがたいツールだなと、最後はよくわからないところに着地して今日のひとりごとを終わります。