子どもにどこまで伝えるか問題

おはようございます。

今日は最近感じたことをひとりごと。

わが家の姉妹のおしゃべりが上手になるにつれ、会話がどんどん楽しくなってきているのですが、「どう答えよう」と考える場面も増えてきました。

先日のこと、

長女「ケッコンってずっと一緒にいること?」

わたし「うん、そうやで。誰と結婚したい?」

次女「◯◯ちゃんー!(女の子のお友達の名前)

長女「でもケッコンって男の子としなあかんのちゃうん?」

ここで一瞬迷ったのですが、「そうやなぁ。男の子やったら誰がいい?」と答えたわたし。

それに対して夫が「女の人と女の人が結婚してもいいんやで」と一言。うん、それは正解。同性どうしの恋愛も現代では広く理解されるように。なってきているし。

でも、まだ未就学児の子どもにそこまで伝える必要があるのか?とわたしは思うのです。そう思う理由は、本心では男の人を好きになってほしいと願っているからかも。

今後の知識として同性同士の恋愛もあり得ることは知っておいてほしいとは思うのですが、まだ「結婚」という概念がつかみきれていない幼少期には、マジョリティーである「男と女が結婚する」ということを前提に話しておきたい、と思うのです。

答え方のお手本はきっと「結婚はパパとママみたいに男の人と女の人ですることが多いけど、男の人と男の人、女の人と女の人で結婚してもいいんだよ」って教えることなのかと思います。

でも、いざ自分の子どもとなると、やはりマジョリティー側に立ってほしいと思うのが自然な心境ではないでしょうか。子どもが成長して、同性を好きになったとなれば、それはきちんと受け入れるつもり。そのような人を偏見の目で見ることもないし、多様な恋愛がある社会を受け入れているつもりですが、娘には異性を好きになってマジョリティー側に立ってほしいというのが素直な気持ちです。

きっとこういうことは、学校などの第三者から教えてもらう方が良いのかも。余計な感情抜きにして、公平な伝え方ができるから。

結婚を例にしてお話しましたが、社会が多様化するにつれて、何か発言するにしても全方位的に配慮しないといけなかったり、それゆえありきたりな表現しかできなかったり。これまでマジョリティーであったことが、多数のマイノリティーの出現によって薄められているような感覚があります。

子供が通っている保育園では、母の日と父の日の制作はなくなり、勤労感謝の日に何か感謝のプレゼントを制作することになったそう。お母さんやお父さんがいないご家庭、おばあちゃんやおじいちゃんと住んでいるお子さんもいるので、そういったことへの配慮だそうです。それは社会の流れに合わせた柔軟な対応で良いなと思う一方で、これまで慣れ親しんできた「◯◯の日」まで、淘汰されていくのかと少し寂しい気持ちにもなりました。多方面に配慮して物事の在り方を変えていくことは必要ですが、文化まで変わってきているなぁと。

これはわたしが両親に愛情を持って育てられ、現在も夫と共に子育てをしているという立場だから感じていることかもしれないので、これを読んで不快に思われた方がいらっしゃれば申し訳ありません。

思いつくまま、考えもまとまらないままのひとりごとですが、最後までお読みいただきありがとうございました!