スマホの弊害は「○○したことにしている」こと

おはようございます。

週末になりました^^新年度が始まって最初の1週間、長かった〜!皆さんも本当にお疲れさまです。今日はいただきもののパンで朝ごはん。


またまたわたしの着想話。お時間ある方はお付き合いいただけると嬉しいです。

母が定期購読している「暮しの手帖」という雑誌を、わたしもいつも読ませてもらっていて、今月号に尾崎世界観さんの「スマホNO」というエッセイを読んで考えたことです。

このエッセイの中で何でもすぐに簡単に写真をスマホでとれるようになったけど、便利な反面ちょっといかがなものかと思うというような文章がありました。

確かに、スマホ一台あれば外に出ていてもすぐ写真が撮れて、写真以外にもスクリーンショットで画面を保存することもできますよね。

わたしの場合は、なのですが、例えば最近だと桜がきれいに咲いているところを通っても、じっと見入るというよりは「あ、キレイ、写真撮っとこ」とスマホで撮って満足し、見たことにしているような場面が多々あります。

Instagramで見つけたおいしそうなレシピや収納方法などの記事も、いつかやろうと思ってとりあえず保存するかスクショするかして、情報を得たことにしている。

結局、桜の写真はあとで見返したり誰かに見せることはなく、スクショした情報もいつの間にか忘れてしまってまた違う情報を探しに行ってしまっています。

簡単に写真を撮ったり情報を保存したりできない時代は、きっと景色を目に焼き付けたり、情報も本当に自分が必要としているものだけを探してメモしたりして、生きた使い方がされてたのかなぁと思ったり。

そこからもう一つ結び付いたのが、最近観たドラマです。ロングバケーションとラブジェネレーションという90年代の有名ドラマ。リアルタイムでは観ていないのですが、過去に何度か観たことがあり、今回TVerで配信されると聞いて久しぶりに視聴しました。(毎回やけどキムタクのかっこよさにビビる)

この時代にスマホなんてものはなく、ラブジェネでは携帯電話(ピッチ)は出てくるものの、ロンバケは家の固定電話だけ。なのでこの2つのドラマは、現代のドラマに比べて、登場人物が顔を合わせて話しているシーンが多いなと感じました。連絡手段がないから、直接会ったり、家の前で待ち伏せしたり、固定電話の留守電にメッセージを入れたり。今観るともどかしいシーンばかりなのですが、そのもどかしさにこそ人間の生き生きとしたコミュニケーションが潜んでいるように感じます。

ケンカをして謝りたいとき、今なら「あとでLINEで謝るか」みたいなところを、この時代は相手を走って追いかけていく。だって連絡手段が少ないから。その分、変に時間を空けずに、その時のお互いの気持ちをぶつけ合うことができて理解が深まっていっている。(時と場合によりますが)

今はLINEや便利な連絡手段があるので訂正も簡単にできるし「伝えた気になっている」ことが、この時代は「伝え切る」に徹底されている。

いい意味で後回しにせず、今を精一杯生きてる〜って感じがして清々しい。

スマホは便利ですが「見たことにしている」「知ったことにしている」「伝えたことにしている」ことも多いなぁと。かといってスマホがないと生活が成り立たないことも事実。気軽にコミュニケーションをとれることのメリットも感じているので、便利な機能の恩恵は受けつつも、「〜したことにしている」ことはないかなど、少し意識してみたいと思いました。

ひとりごとの回は考えがまとまらなくて長くなる〜。今日も最後までお読みいただき、ありがとうございました!