親はガードレールを作るだけ

おはようございます。

今日は昨日の雑談から

とにかくLEGOが大好きな長女に、昨晩「なんでそんなにLEGO好きなん?」と聞くと、「だってつくりたいものがあるから!」とのこと。なんか、いいな〜と。損得考えずに好きなものを追求できるシンプルな思考がうらやましく、潔く見えました。(親バカ)


今日は子育ての雑談です。

毎度お馴染みのVoicyで、キンコン西野さんのお話を聴いていて考えてことについて。聴いていたと言っても、この放送は家事をしながらand子どもの世話をしながらという、究極の「ながら聴き」だったので、ほとんど内容を覚えていません。(西野さんごめんなさい)

でも、ある一言がとても印象に残りました。

その言葉は、

「俺はガードレールになってるだけ」

たしかご自身で運営されている会社かオンラインサロンについてのお話だったと思うのですが、細かい決め事などはなく、そこに参加している人が自由に動けるようにしていて、ただ軌道修正だけはできる状態にしている、というような内容を話されていました。

この言葉を聴いて、まさに子育ての一つの指針になるなぁと。わたしも子どもには好きなように生きてほしいし、どんな道に進んでも応援できる親でありたいと思うのですが、ついつい気になって口を挟みたくなることもこれから出てきそうな気がしています。

そして自由に、と一言に言ってもこれまた難しい。他人に迷惑をかけたり犯罪を犯すなんてもってのほか。その微妙なラインを表現する絶妙な言葉だと思ったのが「ガードレール」

よく、「親が敷いたレールを歩く」というマイナスイメージの言葉を聴きますが、親は「レールを敷く」のではなく、「ガードレール代わりになる」という心持ちでいれば良いのでは!と思いました。

子どもには自由に生きてほしい、でも踏み外してはいけないところでは、親がガードレールとなって落ちないようにする。

めちゃくちゃ抽象的にはなりますが、どこまで自由にさせて、どこまで口を出すか迷った時には、この考え方に立ち戻ってみようと思います。

今日もひとりごとにお付き合いいただき、ありがとうございました!