北欧、暮らしの道具店さんのエッセイを読んで

こんにちは。

今日もゆるゆると雑談を。

よかったらお付き合いください。

わたしは「北欧、暮らしの道具店」さんの金曜エッセイが好きでよく読んでいます。

文筆家の大平一枝さんが、子育てを終えた今、過去の仕事と育児のことを振り返ったお話や、今の暮らしで感じたことを綴られているのですが、いろんなことに気付かされたり、共感したり…。

わたしにとっての癒しの時間です。

北欧、暮らしの道具店さんのアプリ、お気に入り登録にもズラリと大平さんのエッセイ^^

 

そして、うんうん頷きながら読んだ先週金曜日のエッセイについて感じたことをお話してみたいと思います。

→大平さんのエッセイはこちら

https://hokuohkurashi.com/note/268425

この文章の中にある「お母さんになると、自分のために歩いていない道がたくさんできます」という言葉に深く共感しました。

わたしの場合、独身の頃に自分のために歩いていた道は京都だな、とまず思い浮かびました。

時間やお金の制限もなく、思いつくままにカフェや本屋に寄ったり映画を観たり。自分に合う服や化粧品を探し求めて練り歩いたり…。(自由だったなぁ〜!)

 

子どもが産まれてから、会社以外で行く場所といえば保育園、公園、小児科、スーパー、ドラッグストア、ショッピングモール、などなど。

自分のものを買うこともありますが、ほとんどは家族の用事を済ませる目的で歩いている道。

子どもと一緒じゃなくて1人で行動していても、京都のように自分だけのために歩いていた頃とは程遠い今の生活です。

 

子どもと歩いていると、普段は目に入らない草花や虫と出会ったり、空を見上げたり、それも尊い時間だと頭では分かりつつ、独身の頃の自由な歩き方をしたいと心の中では思ってしまいます。

でも、子どもたちが大きくなったら、また純粋に自分のために歩く道を楽しめる時が来るだろうし、その頃には、今の時期のことも、あの時間があってよかったと思うんだろうなと客観的に見ている自分もいたり。

 

大平さんのエッセイを読んで、「自分のために歩く道=京都」だと初めは浮かびましたが、数十年後のわたしにとっては、独身時代に歩いた京都と同じぐらい、今子どもたちと歩いている近所の公園も、気付けば自分のために歩いてきた道になっているのではないか(まだ今はそう思えていませんが泣)、いつしかそう感じられるように願いつつ、毎日を過ごしていきたいなと思いました。

 

つらつらとエッセイの感想だけの回でしたが、最後までお読みいただきありがとうございました。