強い欲求か、深い衝動か

やりたいことが見つからない。

もはや現代病のひとつなのではないかというぐらい、こういった話題をよく見聞きします。

やりたいことが見つからないことが問題なのではなくて、やりたいことや好きなことがないとダメみたいな風潮が問題なような。

「やりたいこと」は、仕事に結び付くようなものでないといけないとか、何か個性的なことでなければいけないとか、知らず知らずのうちに縛り付けられているのうな気もしたり。

わたし自身、やりたいこととは何なのかと聞かれると答えに迷ってしまいます。

今回は最近読んだ一冊の本をご紹介しながら、やりたいことの「やりたいとは、欲求ではなく衝動である」という話をしたいと思います。

谷川嘉浩さんの「人生のレールを外れる衝動のみつけかた」

この中で「衝動は、自分の内から湧き起こり、モチベーション的な語彙では説明しきれない非合理的な力」と説明されています。

たとえば、「資格を取りたい」「ダイエットをしたい」「整理整頓をしたい」などといった“やりたい”は、どこか理性的なもの。目的がはっきりしている“欲求”です。

でも、本当に人を動かすものは、もっと理由のない衝動的なもの。

例えば、わたしの場合。

「今この瞬間に写真を撮りたい!」と思って気付けばカメラを構えていたり、家を出る時間が迫ってるのに「今ここの引き出しだけ整理したい!」とかいう場面がよくあります。

なぜ今?と聞かれても答えはよくわからない。ただ、その瞬間、そうしたかった。あとから理由を探しても、出てこない。

こういうことが“衝動”なのかと思います。

でも、現代人にとってこの“衝動”を見つけることは困難になっているとのこと。

SNSで他者と繋がることで、ほしいものや食べたいもの、とりたい資格やなりたい自分の情報がたくさん溢れている状況。全部がキラキラ眩しく見える一方で、本当に自分が衝動的に動いてしまうぐらい深い欲求に気が付けない。

そして学生時代からのキャリアデザイン教育。

今は高校や大学頃から、将来のキャリアプランやライフプランについて考える授業があったり、社会人になっても一年目にキャリアデザイン研修があったりと、何かと若いうちから将来設計をしっかりしておきましょうという風潮があります。

このことについて、本の中では「キャリアデザインは、『自分の人生を自分で設計する』ことを標榜しています。その役割を果たすために、未来の自分が過去や今の自分と本質的に同質的であると前提せざるを得ません。未来像から逆算するにしても、今の私が想定可能な範囲で考えるほかならない。」と述べられています。

つまり、将来の設定を予めすることによる弊害として、そのライフプランから逸れることを恐れるがために、今後突如湧き起こるかもしれない自分の衝動を無意識のうちに抑え込んでしまうということが挙げられるということ。

衝動的な行動は理由を説明できないようなこと=ライフプランには沿っていないケースが多いから。

もちろん短期的な目標立てやライフプランは必要です。受験だったり仕事の業務は、ある程度見通しを付けてスケジューリングし、そこから逸脱しないよう調整する進め方が合っています。

一方で、もっと大きな人生の枠組みで捉えると、良い意味で計画性のなさが自分の内なる衝動性を呼び覚ますことがあるのではないかと、この本を読んで感じました。

思い返せば、今仕事にさせていただいている動画制作やコラム連載は、まったく予想していなかったこと。

写真を撮りたい!日々の記録を動画で残したい!という何の計画性もない衝動的なはじまりから、いつしか仕事として成り立たせてもらっていたのです。

まとめると、「やりたいこと=衝動」。そして衝動を呼び覚ます、衝動に気付くためにできることとしては、

①今の自分だけの視点で遠い未来まで計画を立てすぎないこと。(今時点の想定範囲内から抜け出せない)

② ノイズを受け入れられるだけの一定の時間的精神的余白を持っておくこと。

三宅香帆さんの「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」の結論、つまり、「半身で生きる」ということにわたしの中で行き着きました。

仕事と仕事以外の文脈を持つという意味合いでの半身。仕事にフルコミットすべきときはする、仕事にだけ達成感や生きがいを求めすぎてしんどくなったときに、それ以外の人間関係や趣味を楽しめる、逃げ込める自分と持っておく。

自分の衝動的な感情や言動に気付くためには、ノイズを受け入れられる一定の暇さや退屈さを持ち合わせていられるかどうかが重要になってくるのでは?と感じます。

先日お話しした自己啓発本よりも小説やドラマを観て行動に移せたという話もまるで同じ。

自己啓発本では「こうありたい」という欲求に止まったまま動けていなかったけれど、ドラマや小説のとあるワンシーンに突き動かされて衝動的に行動に移せたパターン。

よく「やりたいことは見つけるものじゃなくて、すでにやっていること」という言葉を聞きますが、やりたいこと=衝動だと考えると、たしかにやりたいことは何かを考えているときに出てくるものではなく、むしろ何も考えていないときにこそふと浮かんでくる(=衝動)ということなのかもしれません。