この秋に始まったドラマ、何を観ていますか?
わたしは火曜日の「じゃあ、あんたが作ってみろよ」と木曜日の「小さい頃は、神様がいて」の2本。
いつもなら一通りのドラマをとりあえず初回チェックすることが多いのですが、今期は初回を観たのもこの2本だけ。
というのも、リアルタイムで放映されているドラマではなくアマプラで配信されているドラマにどっぷり浸かっているからなのです。
今ハマっているのは朝ドラの「カーネーション」と「まんぷく」。「カーネーション」は2周目、「まんぷく」は現在100話目ぐらい。朝ドラは全150話程度なので、早く観たいような観終わるのが惜しいような気持ちで少しずつ進めています。
なので、今わたしはリアタイドラマと配信ドラマの合計4作品を同期間で観ているということに。

複数のドラマを並行して観るのは、「揺れる」面白さがあるなと感じています。
例えばリアタイドラマの「じゃあ、あんたが」と「小さい頃は」の比較。
前者は若い20代〜30代のカップル、後者は子育てがひと段落した熟年(とまではいかないかも)夫婦が主人公。
わたしは今ちょうどその狭間の世代。カップルという期間はとうに終えているけれど、子育て真っ最中の身として、両方のドラマにはどちらにも共感するところがあって興味深く観ています。
次に、リアタイドラマと配信ドラマの比較。
たまたま今見ている朝ドラ2本はどちらも戦前〜戦後を経ての昭和がメインの話。どちらも男が働き、女は家事という典型的な家族が描かれています。「カーネーション」は主人公こそ女手ひとつで身を立てていくストーリーですが、主人公の母や全体的な場面としても、そのような雰囲気。
そして「まんぷく」が描くのは、まさに内助の功な妻。発明家の夫を支え、鼓舞し、支える場面が多くあります。
一方、リアタイドラマの2本は、「今どき家事は女がやるなんて考え方は古い」「女にも女の人生がある」「自分の好きなこととは?」のように、自立した生き方がテーマのように感じられ、時代間の葛藤や悩みの根本的な違いを感じます。
あとは、食事の描き方の違いも興味深い。
リアタイドラマの2本は、現代ならではの飽食の時代が反映されています。いかに愛情がこもっているか、食事の準備を夫婦でどう分担しているかなど、お腹を満たす=何か食べるものはあるという大前提の下、それ以外の部分が論点。
配信ドラマの昭和設定のドラマは、まず食べるものがないという状況。誰が作るとか、平等に分担して作るとか、そんなのは贅沢な悩みなわけです。

そもそも明日生きていくための食糧確保だけでも大変。お米があるだけでありがたい。
話が逸れますが、少し前に「戦下のレシピ」という本を読みました。
食べるものがなかった、配給もままならない状況だった、その辺に生えている草や捕まえた虫を焼いて食べたりしていた、というようなエピソードは聞いたことがあるのですが、この本に書かれているエピソードを読んで、当時の食糧難は想像を絶する切実さだったことがわかりました。
この本は、戦争中にも出版されていた主婦向け雑誌のレシピを中心に展開されていくのですが、印象的だったのが“戦争前は分量(大さじ1とか)まで記載されていたのに、戦争が激しくなるとともに材料のみの記載になっていた”という話です。
つまり、分量を的確に計って作るような料理は到底無理だったということ。とにかくなんでも粉状ににすり潰して水と混ぜて丸めて煮るとか、レシピとは言えないようなレシピだったよう。
思わずこの雑誌を作る立場だった人たちの感情を想像してしまいました。ひたすら食糧難が続く中、それでも家族のために「こうすればごはんを用意できます」という提案をし続けるってどんな心情だったのだろう。

話を戻すと、飽食の時代のドラマと食糧難だった時代設定のドラマ。そして男女の立場や意識の違いも明確に異なる時代のドラマを、たまたま同時進行で観ているという状況。
世代間や時代間で揺れながら鑑賞することで、単独のドラマだけでは味わえないところまで興味深く考察できる楽しさがあると感じています。
 
					        