家族の「好き」を心から尊重するために大切なこと

他人と共同生活をしている以上、お互いの好きなことを尊重していきたいと常々思っています。

言葉にするのは簡単ですが、実際のところこれがなかなか難しい。まさに言うは易く行うは難し。

自分の好きな空間にしたいと思うと、どうしても他人の好きを排除しないと成り立たなかったり。

そのちょうど良い塩梅を探る日々でもあります。

でも、以前のわたしよりも夫や娘たちの「好き」を尊重できるようになってきました。

その理由を考えてみると、わたし自身の好きなこと、夢中なことをとことん大切にできているから、だと気付きました。

ん?

自分の好きなことをとことん追求してしまうと他人の好きを否定したくなるのでは?と思われるかもしれません。

でも、自分の好きが極まると他人の好きに寛容になれると感じることがよくあります。

例えば、わたしと夫はまったく趣味嗜好が違います。でも、唯一といっても良い共通点は「それぞれ時間を忘れるほどに没頭できる好きなことがある」という点。

「モノ」で言うと、わたしは台所道具やかごが好き。夫は車を整備する工具や専用グッズを集めています。

何に使うかもわからない夫の工具やパーツを見ては「そんなに必要?」とは思うのですが、そんな時はわたしの台所道具に置き換えて考えます。わたしも卵焼き専用のフライパン、食パンを焼くためだけの手付き網など、やっぱりそれぞれ必要なのです。

そう考えると、夫にも理解を示すことができます。

次に「コト」。

わたしは写真を撮ったり動画を編集する時間が好きで、その間は時間を忘れて没頭しています。

夫は洗車、ピアノが趣味。わたしからすると「先週も車洗ってたのに、また洗うん?」とか疑問はありますが、「好きで夢中になれる気持ち」には共感できるのです。

だからその時間はなるべく邪魔したくない。

休日の昼時になっても、洗車している夫はそのままに娘ふたりと3人でちゃぶ台を囲むこともしばしば。

途中でやめたくない気持ちも分かるから。

夫からしてもわたしには疑問がたくさんあると思います。「なんでおんなじような写真を何枚も撮ってんの?」とか。

でもきっとわたしの夢中な気持ちをわかってくれているからか(そう信じたい)、特に何も言ってこないし、むしろ協力体制。(自分が写りこまないようにしたり、YouTube撮影にも割とノリノリ)

自分の好きを大切にしてもらえているからこそ、相手の好きなことも大切にしたいと思えるようになってから、子どもに対しても同じように感じるようになりました。

姉妹がハマっているお絵描きや工作。

以前は「ごはんできたし食べてや!」と、こちら都合で強制してしまっていましてが、今は「ごはん置いとくしキリがついたら食べや〜」ぐらいの声掛け。

夢中で遊んでいるのに途中で中断されると嫌だろうなと。

キャラクターものを持ちたいと言われたら、それも尊重したいという気持ちになれたのは、この考え方があるからかもしれません。

わたしのリュックに常備している防災ポーチはラプアンカンクリの柄なのですが、この好きな柄のおかげで嬉しい気持ちになります。娘たちにとっては、好きなキャラクター柄がわたしにとってのラプアンカンクリ。

好きなモノやコト自体は家族みんな違っても、その「好き」という気持ちに共感できるから尊重しようという気持ちになる。

共感するためには、まず自分の「好き」とことん好きになる、好きを極めることが必要なのかもしれません。