改めて「生活感」について考えてみる

YouTube動画で翻訳をつける作業をしていると、わたしのチャンネルタイトル「家事と、こどもと、生活感と。」は英語表記で「housework,children,and a sense of life」となります。

何度も繰り返している翻訳作業ですが、先日ふと手が止まりました。

「生活感」は「sense of life」。

英語にすると急にめっちゃ素敵な響きやん!と。

わたしは生活感こそが、その人の、その家の一番根底で大切にしているものが垣間見えるかけがえのないものだと考えていて、そう感じる理由をなんとか言語化したいなぁと思っています。

これがなかなか難しいのですが、英訳した「sense of life」にヒントがあるのでは。

日本語で生活感というと、良い意味で使われるシーンは少ない印象です。

でも「sense of life」と聞くと、少し素敵なものに思えてきませんか?

センスは感覚、感じること。

ライフは生命=身体、食べ物。

上質性を感じる「暮らし」という言葉よりも、生命維持活動に必要不可欠な家事、日常生活を送るために必要な行動が「生活」。

この生活にこそ、その人が大切にしているsense of lifeが潜んでいるのでは、と思うのです。

QOLと言われるquality of life(生活の質、満足度)は、日本語ではどちらかというと「暮らし」のイメージ。

そしてsense of lifeが「生活」。生活の延長線上にあるのが暮らし。

かなり前のブログでも暮らしと生活の違いについて書いたことがありますが、両者とも英語に置き換えた方が、感覚的な違いがわかりやすいような気がしています。

やはりわたしはqualityを求める暮らしよりも、日々の淡々とした生活をsenseとして回すことに興味関心があるなぁ。

だからこそ、わが家だけでなく色々な家の生活感に惹かれるのかもしれません。