子どもの成長ってどんな時に感じますか?
目に見える成長は分かりやすいですよね。
わが家の姉妹は最近自分で絵本を読んだり、練習していた剣玉ができるようになったり、オセロで夫に勝つぐらい強くなったりしています。(本気でやっても6歳に勝てない…と悔しがる夫)
「〇〇ができるようになった」と分かりやすい成長にはすぐ気付くことができるのですが、わたしは子どもがいない時間(幼稚園に行っている間)にも、たくさんの成長を見つけることができると感じています。
例えば、子どもスペースを片付ける時、色々な工作物やお絵描きが出てくるのですが、それが日に日に進化していたり。
ずっと平仮名の「ふ」を反対向きに書いていた長女の字が今日は正しい向きになっている。夫のパソコンを真似て次女が作った紙のパソコンには、ちゃんとエンターキーらしき形のボタンがあって「よく観察してるなぁ」と感心したり。
長女は紙で作ったスマホにストラップをつけたかったらしく、セロハンテープでそれっぽくしているのを発見。セロハンテープを長めに切ってくるくる丸めて紐状に。こんな使い方もできるのか、と。
こんな感じで、時間と心に余裕があるときは娘たちの行動をなぞるように観察しています。
今は「ママ見て〜!」と向こうからできるようになったことを見せに来てくれるので、わたしは受身体制でも十分成長を感じることができています。
そして今の年齢は目に見える成長がわかりやすい。身長が伸びたり、字が書けるようになったり、昨日できなかったことが今日できているなんてこともよくあります。
でも、これから小学生になって思春期に入ると、こどもの方から「見てみて〜」と来ることは少なくなるだろうし、受身のままでは成長を明確に感じる瞬間は少なくなる気がしています。
まだ親歴は短いですが、娘との距離感に悩んだり、つい他のお友達と比較してしまう自分が容易く想像できてしまう…。
だからこそ、受身なだけでなく、こちらから娘たちの様子を観察して、他人からすると「そんなこと!?」と思われるかもしれない、でも自分にしか気付けない小さな成長を積極的に見つけていく姿勢を持っていたいと思うのです。
娘ふたりと過ごす時間も、そうでない時間にも姉妹の行動の足跡をなぞるように。
そのためには時間と心の余裕が必要なのは言うまでもなく、やはり自分自身の問題でもありますが。
子どもを目の前にしている時間はもちろん、いないときにも、いないからこそ気付く成長もあるなと感じる日々です。
追記:先日はこんなことが。
ひな祭りの日に幼稚園で工作した雛飾りを持ち帰ってきた長女。
次の日の朝、畳の上に置いてあってので「あとで写真撮りたいし、ちゃぶ台の上に置いといて〜」と声を掛けました。
洗面所で作業をしていたわたしのところに来た長女が「写真撮れるようにしといたで!」と一言。
「ありがとう〜」と返事だけして、2人を幼稚園へ送り出し帰ってきてびっくり。
お雛様がちゃぶ台の上ではなく、わたしがいつも写真を撮っている窓際に置いてあってのです。
長女がセットしてくれたまま角度も場所も一切変えずに撮った写真がこちら。
この日は雨で外が暗めだったので、わたしも写真撮るならこう置くな…という感覚を長女と共有できたのかも?と驚き。
でも成長を感じたのはそこではなく。
わたしが長女にお願いした最後の言葉は「ちゃぶ台に置いといて」。でも長女はその前の「写真撮りたいから」の意図を汲み取ってあえてちゃぶ台ではなく窓際のここに置いてくれたのかと思うと、相手の言葉の真意を自分なりに考える力が少しずつ育まれているのではと感じました。
これも長女が残してくれた行動の足跡から気付いた成長のひとつです。