年末年始の長期休暇中、ちょいと夫とケンカをしておりまして…。
久しぶりのケンカからの、必要最低限の業務連絡程度しか会話をしない冷戦状態が数日間続いていました。
ほんと良くないと思いつつ、またもやってしまった…。
この空気感は何度も味わっているのですが、これまでとひとつ違ったのは娘たちの反応です。
もう6歳と5歳なので、ママとパパがどことなくよそよそしいことは伝わってしまっていて、「まだケンカしてるん?仲直りしたらいいのに〜」と言ってきたり、やっと普通に会話できるレベルになったときには「仲直りできたやん!よかったやん!」と我が事のように喜んでくれたり。
娘たちの成長を感じつつも、親として申し訳ない気持ちになりました。
親の顔色や反応を見て言動を決めたりするのって、子どもが子どもらしくいられない「いい子」に育ってしまうことに繋がるのでは。
安心して遠慮なく感情をぶつけることのできる存在が親なのになぁ〜と。つくづく自分ダメだなぁと。
その一方で、冷戦状態の方が夫もわたしも相手に配慮できているところもあるのです。
いつもはあまり率先して動かない夫。
でも良し悪しは別として、冷戦期間中は先を見て動いてくれていました。
先に動くというのは、例えば「そろそろお風呂の時間だな」という時に、さっと夫がお湯を溜めに行ってくれるとか、そんなこと。
些細なことでも、自分より5秒でも早く動いてくれるって、すごく感謝の気持ちが芽生えます。
わたしはわたしで、普段よく夫にやってもらおうとそのままにしておく食洗機の中を先に片付けておいたり。
おそらく、お互いに、これ以上関係をこじらせたくないという気持ちがあるからの行動なのかなと。
でも、これを通常モードのときでも、そんな時こそ相手への配慮を持続させるにはどうすればよいのか悩みます。
夫婦といえど、他人。配慮は必要。頭ではわかっていても、なかなかうまく行動に表せないわたし。
たまたま年末年始休暇前に借りていた本に、そのヒントがありました。
「家族の中心は『夫婦』であって、子どもは『真ん中』じゃないように思っているんです。」
「夫婦が家族の基本単位である、その上で子を大切にするというのは実は、とてもバランスがいいように思うのです。」
「『子ども』をメインにもっていきすぎている家族というのは、実は、子どもをだいじにしているようで、子どもは「安心」はしていないのかもしれない。子どもにかまうことも大事だけれど、何が子どもにとって安心かって、親が幸福であること、親たちがたのしそうに暮らしていること、笑っていることだと思うのです。」
「ただ、在る」という具合に子どもが居られるような環境がいいのです。」
親が楽しそうにしていること、夫婦が仲良く暮らしていることが、子どもが子どもらしく成長できる土壌になっているのか…。
わが家の場合、夫婦仲がギスギスするときは、子どもを真ん中に置きすぎていることが多いのかもしれません。
あれもしてあげたい、これもしないと。
結果、自分のやりたいことができなかったり、うまく時間を使えなかったり。
そのイライラを子どもにぶつけたくない→夫にぶつける。
とはいえ、わたしの毎日のスケジュールは子ども中心に動いているし、作るごはんやおやつも子どもが好んで食べてくれそうなものを選びます。
そういった物理的なところは子ども中心になっても良いと思うのですが、気持ちを向ける方角を少しだけ変えてみることを意識していきたい。
気の問題って、なかなか成果を感じることは難しいのですが、ケンカ中は相手へ配慮ができていたように、夫への意識も向けていけたら、夫婦仲だけでなく回り回って子どもたちにも良い影響がある。
今回のことで改めてそれを痛感したので、夫婦の関係性を良い状態で保つための努力をしていこうと思います。(これがなかなか難しいのですが)