子どもの習い事と「40年ギャップ」

おはようございます。

先日、友達と話していて子どもの習い事の話題になりました。

わたし自身、習い事についての話をするのがとても新鮮で。なぜなら、夫との会話の中で「子どもの習い事どうする?」という話題になったことがないからです。

わが家の姉妹は平日は保育園、土日は家でゆっくり過ごすのが定番スタイル。ご近所さんが体操教室に通ったり英語を習わせたりしているのを見ると、たしかに子どもにとっていい経験だろうなぁと思うのですが、そこまで気が進まないのはなぜかと考えてみました。

物理的な問題として、送迎が面倒であったりお金がかかったりということがありますが、それが惜しいわけではなく、「子どもが元気に育ってくれればそれで十分」という気持ちが強いのだと思います。

長女が一人で集中してLEGOや折り紙で遊んでいるのを見ると、習い事で培われる集中力や継続力は、日頃の生活の中でも得られるなぁと感じていたり。

平日は長時間保育園で社会的な人間との関わりを学んでくれているので、休日ぐらいは好きなことを思いっきりしてほしい。好きな習い事が見つかれば、それを見つけるのが親の役割だという考えもあるかもしれませんが、小学生になって習い事がしたいと本人から申し出があれば考えてみようかな、というぐらいの温度感が夫婦共通して(珍しく笑)あります。

一方で、親の所得によって子どもの経験値や能力に差が出ることを教育格差とも言われたりして。

こう聞くと習い事させないといけないのかなと思ってモヤモヤすることがあったのですが、これと関連して、最近「40年ギャップ」という言葉を知りました。ネットで検索すれば詳しい解説が見つかると思いますが、簡単に言うと「子どもの20年後の未来のために教育するのに、親は自身が子どもだった20年前の記憶で教育してしまい、そこには40年の差が生まれている」ということです。

これを知って感じたことは2つ。

ひとつ目は、大人の親自身も常に考え方をアップデートして学ぶ必要があるんだなということ。

幼い子どもを見ていると大人の自分は何でも知っているような気になりますが、決してそんなことはなく、未来に対して無知なのは大人も子どもも同じ。凝り固まった固定概念のようなものを取り外していくために学び続けることが肝要なのだということ。

ここで先程の習い事の話と繋がるのですが、わたしたちが将来役に立っと思っている英語やプログラミングなどの習い事も、もしかしたら20年後には全く必要ないかもしれない。何をしておけば良いかなんて分かるはずもないのです。

ふたつ目はひとつ目と矛盾しているかもしれませんが、やっぱり「今」を大切にしたいということ。20年後を見据えて色々学んだり情報収集することも必要な一方で、例えばこの先何の役に立つかわからない長女の折り紙やLEGO遊びも、「今」夢中になっているものがあるならそれを全力で応援したいと思います。親としてできることは少ないですが、折り紙は常に絶やさないようにストックしておいたり、LEGOに集中している間は話しかけずそっとしておいたり。

結局のところ20年後の未来がどうなっているかなんて分からないのだから、できる範囲で自分の考え方や頭の中の情報をアップデートしつつ、子どもの「今」を大切に見守っていけたらいいなぁと。そんな立派なこと、なかなかできる気がしませんが。

今日は最近の出来事が繋がったので、ひとりごとのように長くなってしまいました。

最後までお読みいただきありがとうございました!