おはようございます。
今日はひとりごとシリーズ。ふと思ったことをお話しようと思います。
最近は自分がどんな人かを端的に表す言葉がたくさんあって、(例えばミニマリスト、シンプリストなど)性格や特徴を伝えるのにとても便利な言葉だと思っています。
ただ、わたしの場合は、あまりこのような「型」で自分を形容してしまうと、息苦しくなるなぁと感じています。
つい先日、それを感じる出来事がありました。以前ブログで書いたように、わたしは今オートファジー(16時間断食)を続けていて、朝5時〜昼の1時までの間にごはんを食べるという生活をしています。こうなると本来の夕食の時間は何も食べないので、これまで習慣になっていた晩酌が一切なくなりました。自分でも驚きなのですが、ワインをグラス一杯だけ飲むことを楽しみに一日頑張っていたのに、こんなにもあっさりやめられるものかと…!実際そこまで必要としていなかったということですね。
最近では、お酒を飲めるのにあえて飲まない選択をすることをソバーキュリアス、ソバーキュリアスを実践している人のことをソバキュリアンと呼ぶみたいです。健康のためであったり、時間を有効に使うために海外で実践している人が多く、日本でもソバーキュリアスに関する本が発売されたことで、お酒に対する意識を変える人が増えているそうです。
この言葉を知ったのはVoicyがきっかけでした。そして、もしかしてわたしはソバキュリアンになったのかも…!?と思ったのです。でもここで、誰かに言う言わないに関わらず「わたしはソバキュリアン」と決めてしまうと、どんな場においても一滴も飲まないことになります。わたしは休日はお昼に少しワインを飲んだりするし、友達や同僚とごはんに行く機会があれば、時間関係なくお酒を飲みたい。でも、一度自分でソバキュリアンという型にはめてしまったがために、それにどうしても従いたくなって、「飲まない」という選択をしてしまうと思うのです。わたしの頑固な性格さゆえだとは思うのですが、ソバキュリアンの傾向が強くても、それをあえて自認せず、どんな型にもはまっていないほうが自由に振る舞えるような気がします。
型に自分をはめてしまうと、そんな自分を追い求めて、本質的には違う方向へ向かいたくなったときに、息苦しくなるんじゃないかなぁと思うわけです。
Instagramを見てくださった方から、「丁寧な暮らしをされていますね」と嬉しいお言葉をいただくことがあるのですが(本当にありがとうございます)、ここでも、「わたしは丁寧な暮らしの人」だと思うと、とことん丁寧にやらないとダメ!と思い込んでしまいそう。実際わたしはズボラなところの方が多いし、服やかばんの数はとても少ないのでミニマリスト傾向かと思いきや、台所道具はめっちゃ多いし…と、全然自分が定まっていないのです。好きなインテリアも古道具や北欧系などごちゃ混ぜ。それぐらいの方が、逆にラクかもしれません。
わたし自身、自分がどんな人でどんな暮らしをしているのかよくわかりませんが、とりあえず今興味のあること、やってみたいことに気持ちよく向かえるような状態でありたいと思っています。
今日も長いひとりごとにお付き合いいただき、ありがとうございました!