「自分軸」という言葉への違和感

おはようございます。

昨日は町内会の清掃活動があって、いつも参加してくれている夫に代わって行ってきました。朝ごはんはしっかり食べようと、榎本美沙さんのレシピで甘酒クロックムッシュを作りました。初めて作ったけどおいしかった^^

今日もわたしの思ったことをつらつらと書きたいと思います。いつも以上に全然まとまってないのですが


「自分軸」という言葉をよく耳にしませんか?わたしは特にラジオでこの言葉を聞くことが多いのですが、初めは確かに自分の物差しで物事を判断して行動するってすごいなぁ。他人に流されない感じがかっこいい!と感じていました。

でも最近、だんだんこの言葉に対して違和感を感じてきたんです。

「自分軸を持ってる人」=「他人と違う人」というイメージが付いてきて。マジョリティーでなくマイノリティーな方を選ぶ人が自分軸を持っててすごいと思われるようなイメージ。

良い例えが思い浮かばないのですが、例えば飲み会のあと二次会に流れる人が大多数の中、「わたし帰ります」とさっと帰って行く人が自分軸のある人、二次会に行く人は他人軸な人、みたいな。

でも、二次会に行く人も明日の予定など諸々考えた上で行くと自己決定しているのだから、こちらも自分軸ですよね。

そして今日は流れのまま流されてみよう〜と他人軸に寄っ掛かることを決めているのも、ある意味で自分軸。

サラリーマンを辞めてフリーランスになる、ひとがしていないことをする、それが自分軸という風潮があるんじゃないかなぁと個人的に感じています。

もう一つ、この言葉に違和感があるのは「自分軸」と言うとなんでも許されると思われていそうなこと。例えば仕事で上司や部下に普通は言いにくいことを、ズケズケ言う人。「これが俺の仕事のやり方(自分軸だから)」みたいなって単なる開き直りで、そこはもう少し相手の思いとか意図を汲み取って伝えるべきところだと思うのです。

他人軸でなく自分軸で生きたいという人は、他人と違うところばかり探しているような気がします。でもそれって結局他人と比べて決めているから他人軸ですよね。(かく言う私もそのひとり…)

自分がこう!と選んだことが、大多数の人が選ぶものであっても、そうでない少数派でも自分で決めた自分軸。

いや、もう自分軸っていう言葉そのものがなんか違う気がする。でも代わりの言葉が思い浮かばない〜。

強いて言うなら、「奇を衒わない自己判断」みたいな?わざと変わったことをして他人の注意を惹きつけるのではなく、純粋に心から思ったとおりの言動をすることができれば、それが積み重なって自分というものが出来上がるような。

いやー、ほんと何言ってるかわからん。笑

しかも文字ばっかり。

最後までお読みいただいた方がいれば、本当にありがとうございます。

今週もぼちぼちがんばりましょう〜!